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昭和の名優・仲代達矢が見る日本映画の今

 年間の映画入場者数が毎年10億人を超えた昭和25年からの10年間は、一般的に「日本映画の黄金時代」といわれる。当時の人口は9000万人。単純に計算して、赤ん坊も含めた全国民が月に1度は映画館に足を運んでいたという勘定だ。そして、観ていた映画の大半は邦画であったことを考えても、その当時、日本の映画業界がどれほどの隆盛を誇っていたかは想像に難くない。

仲代達矢 日本映画の黄金時代に活躍した名監督、名優の大半は鬼籍に入ったが、その多くと撮影現場を共にしてきたのが、日本映画界きっての名優・仲代達矢。役者になって60年、80歳となった仲代がこれまでの作品を振り返る『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(春日太一著・PHP新書)が話題を呼んでいる。早速、本人にお話を伺った。

――「まえがき」で聞き手の春日太一さんも書かれていますが、当時の撮影現場の光景が浮かんでくるような、描写の細かさ、そしてそれを語る仲代さんの記憶力に驚かされました。

仲代:役者にも天才型と努力型の二つがあって僕は後者のほう。飲み込みが悪いから、NGも多いし、人一倍勉強して努力する必要があったんです。5分間のシーンを一週間かけて撮るなんてのはザラでした。だからこそ、その当時の記憶は、嫌でも血肉となって、鮮明に脳裏に焼き付いているんです。そして、そういった濃い時間を体験できたのは、職人肌の監督、スタッフが徹底的にしごいてくれたお陰でもあります。

――しごきといえば、シリーズを通じての主演作となる『人間の條件』(59年・松竹)で、「本当の軍隊の初年兵教育を1か月毎日繰り返し、脱走シーンの前、小林正樹監督から『一週間で6キロ痩せろ』という指令どおり、何も口にせず、睡眠すらも許されない状況で撮影に臨んだ」との記述が印象的でした。

仲代:零下十何度の大地で、全身が雪に包まれるまで倒れ続けなくちゃならないんで、凍死する一歩手前でした(笑)。一つの夕景を撮るにしても、一週間ずっと雲待ちをするわけです。「あの雲は満州の雲じゃない」って。几帳面といえば几帳面ですけど、黒澤監督にしろ小林監督にしろ、それぞれがそれぞれの個性を存分に発揮して、絶対に妥協しない部分がありました。ここまでくると、一つの芸術作品ですよね。もちろん今の若い監督にそうした芸術肌がないとは思いませんが、映画が時代の寵児であったあの時代には、それだけのカネと時間と労力をかけることができました。

――低迷する現在の映画界、当時のようにカネと時間をかけた作品が生まれることは難しい時代となりました。

仲代:現在、日本の映画界を見回してみれば、有能な人はたくさんいます。ただ、それが今はまさに効率の時代ですから、リハーサルを繰り返して無名の新人を育てる時間もないし、それを支える土壌も失われつつあります。例えば、相次ぐ撮影所の解散もその一つです。私もそうでしたが、殺陣のシーン一つをとっても、腕のいい撮影所のスタッフ、脇役の方に教えられることって、非常に多いんです。監督にしても、かつての従弟制度は薄れています。映画はやはり総合芸術ですから、売れることだけを考えて、時間をかけずにいいものを作ろうっていうのは難しいのではないかと。

――いい作品と売れる作品はやはり違うものでしょうか。

仲代達矢

「映画界にルネッサンスを起こせるかどうか、まずは後進を育てることから。それが作り手としての私の課題ですね」

仲代:売れることに固執すると、どうしても制作側は“配役の妙”ばかりを優先してしまいます。例えばAという役があったら、「そのイメージに合って、人気のある役者は……」って選び方ですね。“役者のイメージ”っていうのが実は落とし穴で、お客さんにとっては「○○さんらしい演技で安心して見られるな」ってことなんですけど、それって作り手に対してお客が上から目線で見てる感じがするんですよ。“お客さんより役者が上”ってことではもちろんありません。僕が言いたいのは、映画にしても芝居にしても、見ている人が「こんな世界があるのか」、「こんな人間がいるのか」、「ああいう生き方があるのか」って感銘を覚えるものでなくてはいけない。それは僕が修行時代、三食の飯を一食に減らして、映画館に足繁く通っていた頃から何も変わりません。役者の演技というのは虚と実の狭間にあるものだから、お茶の間の好感度タレントと同じように「見ていて親近感を覚えた」などという評価は、恥ずかしいことなんです。

――自然体の演技、素の自分を出すことが好意的に捉えられるといった風潮もあります。

仲代:「配役のイメージが合ってるから」ということで人気モデルさんを主役に抜擢。キャラクターどおりの素晴らしい演技をして大ヒット――ということは、それはそれで素晴らしいこと。ですが、その人気モデルさんが役者として成長できて、次回作で新境地を――とはならないでしょう。演技の基礎的なものが疎かなまま、素材と雰囲気だけで役者の芸が成り立っているだけですから。本人が悪いというのは残酷な話で、繰り返しになりますが、そうしたものを一から教えてあげる環境がどんどん失われている――というのが一番の問題じゃないかと思います。

 黒澤明、小林正樹、市川崑、岡本喜八――。それぞれ個性も作風も異なる監督に起用された仲代はその都度、それまでのイメージをすべて捨てて、新しい役に“殉ずる”ことを求められてきた。だからこそ、「キャリア60年なんてのは勲章でもなんでもない」と、今でも新しい作品に挑戦するたびに、新人と同じ気持ちで映画、舞台に望んでいる。

 多感な二十代を映画黄金時代に捧げ、半世紀以上もの間、役者一筋を貫いた男だからこそ見える日本映画の現状。仲代達矢の視点に立てば、映画、そして舞台の見方も、また変わってくるのではなかろうか。 <取材・文/スギナミ 撮影/石川真魚>

【仲代達矢】
なかだい・たつや 1932年12月生まれ。52年、俳優座演劇研究所付属俳優養成入所。文部大臣賞、毎日芸術賞、紀伊国屋演劇賞、ほか数々の賞を受賞。小林正樹監督「黒い河」「人間の條件」「切腹」黒澤 明監督「用心棒」「影武者」「乱」と日本を代表する映画作品に出演。’75年から俳優を育成する「無名塾」を亡き妻・宮崎恭子と主宰

『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』
(春日太一・著 PHP新書 本体780円+税)

役者になって60年。今年80歳を迎える仲代達矢がこれまでの作品を振り返る。俳優座養成所でのこと、小林正樹、岡本喜八、黒澤明ら名監督との出会い、高峰秀子、原節子、勝新太郎といった有名俳優との仕事などを回想。現在の映画界についても鋭く語る


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