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香山リカ「ルー・リード死去で炎上事件」の裏側を語る

 香山リカ氏の不定期連載『人生よりサブカルが大事――アラフィフだって萌え死にたい!』の第7回が到着!

 ごく最近、ネットを騒がせた香山氏。なぜ炎上に至ったのか? どうぞ本文をお読みください。

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 先日は、「高橋幸宏氏のコンサートで愚弟が昏倒」(http://nikkan-spa.jp/514998)という件でお騒がせしました。

 弟は救急病院への約1週間の入院を経て退院し、いまも地元の病院で血圧が激しく上がったり下がったりする原因を精査中。まあ、もともと超巨漢で、しかも「図々しいのに繊細」という独特すぎるメンタルが最大の原因だと思うんだけど……。

 でも、寝ながらテクノ講義の動画(http://www.nicovideo.jp/watch/1382502387)なんかやってるんで、とりあえずテクノ魂だけは生きてるようです。

 誰も知りたくないかもしれないけど、「オタクが中年化してメタボになると、するとメンタルだけじゃなくフィジカルもヤバイ」というケースとして、また報告します。

 さて、ちょっと新聞でコメントしたり雑誌に寄稿したりすると即座に炎上しがちで、「晩秋なのに燃えるオンナ」の異名をほしいままにしてる感のある最近の私ですが、また面倒なことになってました。

 あれは10月28日の早朝のこと。私はオタクにありがちな「断眠体質」で、ひと晩のうちに「2時間眠っては目覚めてスマホでネット見たりちょいとゲームしたりしてまた寝る」みたいな周期を何度か繰り返してるのですが、4時頃に目が覚めて寝床でニュースのサイトをチェックすると「ルー・リード氏、死去」の情報が飛び込んできました。

Lou Reed ルー・リード……。80年代になってYMOに出会ってからにわかポップスファンになった私にとっては、「おしゃれで知的ロックの神さま」みたいなお方。

 そりゃあ、あとづけの情報としてはあれこれ知ってます。ヴェルヴェッツとして活動していたリード氏(こんな呼び方でいいのか)がアルバムを制作するにあたり、アンディ・ウォーホルの「この子も入れたら?」というアイディアで、ドイツ生まれの女性、ニコがヴォーカルとして加入したこと。そして、ウォーホルによるバナナのジャケットで知られるアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』が生まれたこと……。

 私は80年代半ばのある時期、おそらく一生でただ一度、胸を張って“おしゃれメン”と言えるニューヨーク帰りのオトコと、遠距離恋愛してたことがありました(当時、私は北海道の病院に勤めていて、“おしゃれメン”はもちろんトーキョー暮らしだったから)。

 その彼があるとき突然、「古いレコード整理してるからあげるよ」と数十枚のアルバムを送ってきた中に(いまから考えるとホントに不要品を送りつけただけかもしれないけれど、当時は“この数十枚のアルバムのチョイスが愛のメッセージなのね! なんてオシャレ!”と色めきだつイナカ娘っぷりだった)、そのバナナジャケットもあったのでした。

 もちろん、私もおしゃれトーキョーピープルにならんとして勇んで聴いたはずなのですが、正直に言うと内容はまったく覚えていません。

 私とヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードとの接点は、実際にはそんなところです。

 あ、でも2枚だけ、自分でお金を出してヴェルヴェッツ関連のアルバムを買ったことがあります。1枚は90年にアンディ・ウォーホールの追悼プロジェクトとしてルー・リードとジョン・ケイル名義で出した『Songs for Drella』、そしてもう1枚はたしか同じ年、ジョン・ケイルがブライアン・イーノと出した『Wrong Way Up』。前者はピアノとか弦楽器が多用されたやさしい仕上がりで聴きやすかったけれど、アンディ・ウォーホールとふたりの長い歴史がわからなければ本当のところは理解できんのだろうな、と思いました。そして、後者は単にYMOも多大な影響を受けたブライアン・イーノの作品というだけで買ったので、「イーノにしては環境音楽っぽくないな」としか思いませんでした。

 ……繰り返しになりますが、リード氏とはそんな薄っぺらな関係の私です。

 それなのに、午前4時の私は、思わずツイッターで「ルー・リードが亡くなったか…ショック。音楽の世界に、いやアート全般の世界に多大な影響を残し、若き私もおおいに感化された。合掌」などとつぶやきたくなったのです。

 なんというか、バッティング・マシーンで「ルー・リード死去」という球が飛んできたからには、ツイッターで打ち返さなければならない、というか。しかも、そのときには多少、盛らなければならない。「へー、ルー・リード亡くなったって。…てか、まだ生きてたんだね。えっと、この人、男だっけ女だっけ」ではカッコ悪いので、やっぱり「私にとってのニューヨークとの出会い、それがヴェルヴェット・アンダーグラウンド」などと書きたくなってしまうものです。

 こういうカッコつけ方に関して、私のオトウトはいつも厳しくツッコミを入れてきます。

 たとえば、最近の音楽にもついてイケてる私、を装って、オトウトに「コールド・プレイ聴いた? イーノのプロデュースなんだけど、やっぱりすごいわ」などと言うと、オトウトは矢継ぎ早に質問してきます。

「コールド・プレイって何人? メンバーの名前、ちゃんと言える? いま外国人の顔写真を並べたら、その中からメンバーを正しく選べる?」

 そして、私が言葉に詰まると、吐き捨てるように「ほら、わからないじゃないか。ムリして好きなフリなんかすんなよな」と言うのです。私はいつも、顔から火が出そうになるくらい、恥ずかしい思いを味わいます。

 そんな習慣が身についているからか、「ルー・リード氏も亡くなったか。ロック界の偉大な星が墜ちた。合掌」とツイートしようとしたときの私は、自分で自分にツッコミました。

「ホントかよ……。私、それほどルー・リードに影響なんか受けてなかろう。ここでもしお悔やみのツイートしたら、それは“どう? 私って60年代、70年代ポップ・アートに片足突っ込んだおしゃれピープルなのよ!”とアピールしよう、ってことなんじゃなかろうか?」

 そう思い、そんな自分に恥じ入った私は、ツイッターにこう投稿することにしました。半分、眠りに落ちながらなので、誤字混じりで。

香山リカ

香山リカ氏のツイッターより

「あくまでも私の場合だけどさ、お悔やみツイートは、こんな人にも関心ある私ってカッケーさしょ?ってアピりたいだけ、って気がするんで、ルー・リードの死はそっと悼もう……って言っちゃ同じことか」

 そうしたら、このツイートの「あくまで私の場合だけどさ」の部分が見事に切り取られ、「香山リカが『お悔やみツイートは私ってカッケーでしょとアピリたいだけ』とツイート」と拡散され、それがさらなる拡散を呼び……とさざ波のようにオンラインワールドに広まったのです。

 私のツイッターのアカウントや公開しているメールアドレスにも、「とてもカヤマさんの発言とは思えません」「最低です」といった抗議が殺到……。そりゃ、ホントにリード氏の死を悼んでいる人にとっては、「あーん? あんたもたいしてヴェルヴェッツの音楽も聴いたことないのに、オレってリードとはダチでー、ソーホーでバーボン飲んだ仲だしー、とか言いたいクチじゃねーの?」なんて言われたら、ハラも立つでしょうね……(あ、またこんなこと言うと、炎上の燃料投下になっちゃうか)。

 あのツイートでは、決してそんなことを言いたかったわけじゃございません。あくまで、「ここで私がお悔やみツイートしたとしたら、それは便乗して自分のステイタスを上げたいだけだからやめておこう」とつぶやいただけなんです……。

 ただ、拡散っぷりと抗議があまりに壮大だったものですから、ひとつひとつに「いえ、あれはそういうわけじゃございませんで」と弁明することもできず、結果的には唖然としながらその広がりを見守るだけ、となってしまいました。

 ただなんというか、私の場合、リベラルな発言をすると「反日め、日本の足を引っ張るな」「はよ祖国に帰れ」というメールが来るのはほとんどデフォルトになってましたが、全然、政治や社会とは関係ないミュージック関連のツイートでこんなに炎上するとは、意外でした。これはもはや、私という人間そのものが着火剤的な存在になってる、と考えたほうがよいのでしょうか。……もしそうだとしたら、こんな悠長なことを言ってる場合じゃないのですが。

 でも、こうやって釈明したとしても、さらなる批判が来そうです。もう私には予測がつくのです。

「ホントにそう思うならつぶやくなよ、ツイートしたってことは、自戒のスタイルを装った他者批判なんだろ?」

 まだ来てもいない批判に答える私もどうかしてるのですが、もしこう言われたとしたらそれは、「ホントに思ったことはツイートするな」ということでしょうか。それがツイッター界の礼儀作法なんでしょうかね。

 いやー、ネットリテラシーってやつは、アラフィフにはなかなか身につかないもんです。そっちの世界はデジタル・ネイティブな方々におまかせし、こちらはワラ半紙に墨で文字を書いて貼り出す、みたいな世界にとっとと引っ込んだほうがよいのかもしれません。そんなことさえ思いながら迎えた11月には、いったいどんな事件が起きるのでしょう!? <文/香山リカ>

Lou Reed

Original Album Classics




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