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「焼身自殺」で中国へ抗議 仏教国ベトナム、チベットでいま何が起きているのか?

 南シナ海の領有権をめぐって、ベトナムでの反中デモ過激化が伝えられるなか、5月23日、ベトナム南部ホーチミンの中心部で、67歳の女性が石油をかぶって焼身自殺した。女性は「中国の侵略の陰謀を打ち破るため団結を」「中国はベトナムから出て行け」などのスローガンを手書きした紙を持ち、また、仏教団体に所属していたとも各紙で報じられている。  ベトナム、焼身……といえば、1963年、僧侶ティック・クアン・ドックによる「アジアの近代史上、もっとも有名な焼身抗議」ともいわれる事例がある。  著書『太陽を取り戻すために ――チベットの焼身抗議』のなかで「仏教と焼身」「世界の焼身」について解説している中原一博氏は語る。 「僧侶ティック・クアン・ドックは、当時、アメリカの軍事的支援を受けていた南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権の仏教徒弾圧に抗議するために、サイゴン(現、ホーチミン)のアメリカ大使館の前でガソリンをかぶり、焼身を行いました。彼は支援者やメディアが注目する中、燃え上がる炎の中でも結跏趺坐(けっかふざ *座禅のときの正しい姿勢)を崩さず、一切苦悶の表情を見せず、声を出さず、絶命するまでその姿を崩さなかった。その様子はカメラを通じて全世界に放映され、国内の仏教徒だけでなく、世界中の反戦主義者に大きな影響を与えることとなったのです。この焼身が契機となり、ゴ・ディン・ジェムは殺害され、政権が交代しました。仏教的供養を抗議の手段として用いた、記録に残る最初の例でしょう」  周辺のカンボジア・ラオス、タイなどの国々が上座部(小乗)仏教の国であるのに対し、ベトナムは大乗仏教を信仰する人々が大半を占める国である。その同じ大乗仏教を信仰する「チベット」でも、今、さらに悲惨な事態が起きているという。  知らない人のために、早稲田大学・石濱裕美子教授(チベット史)が説明する。 「1951年から始まる社会主義中国による中央チベットの支配は、チベット文化の心髄にある仏教を破壊しました。現在、僧院は形だけの復興は許されているものの、仏教の教育・修行は厳しい制限を受けています。また、経済発展の恩恵をチベットにおいて受けているのは主に漢人層であり、チベット人は経済的にも文化的にも自らの故郷にありながら隅に追いやられています。チベットへ漢人入植者が増えるに従って、チベット語がどんどんチベットから消えつつあります。チベット人は仏教徒なので、たとえこのように追い詰められても他者を傷つけるテロなどの行為はできません。そこで、焼身という形で自らの命を捧げて、チベット人の団結を訴え、中国政府の非道を世界に訴える人たちが現れたのです」  これに対しては、中国共産党が最近、盛んに「焼身自殺は仏教に反する」というキャンペーンを行っている。僧侶が焼身自殺することは戒律にも反する、と言っているのだが、実はその中国にも、 「中世の仏教僧侶の伝記を集めた『高僧伝』というものがあります。そのなかには、たくさんの僧侶が、一切衆生を救うために供養としての焼身を行い、人々は悲しみと称賛の心でいっぱいになった、とある」(前出・中原氏)  仏教徒が焼身抗議を行うのには、どのような意義があるのだろうか。 「コロンビア大学の現代チベット研究者であるロバート・バーネット氏が解説されていますが、実は『焼身』は仏教の伝統と深く共鳴しています。個人的な理由からそれを行う、つまり『自殺』ならば仏教では禁止されています。しかし、より気高い動機を持って行われる自己犠牲は高く評価されます。仏陀がその前世において自己犠牲を行っていた物語『ジャータカ』はよく知られています。もっとも有名なエピソードに、飢えに耐えかねた母虎が自分の生んだばかりの子虎を食べそうになっていたところ、仏陀が自らの体を虎に差し出した、という話があります。ちなみに、日本の法隆寺の玉虫の厨子はこの“捨身飼虎”の場面を描いたものです。その仏陀の前世者によって命を救われた子虎は、後に仏陀が最初に法を説いた際の最初の五人の聴衆となった、とされています。従って、社会の利益のためになされた行いは、気高いものとみなされますし、もしそれが僧侶によってなされるのなら、特に尊敬を受けるのです」(前出・石濱教授)
タクツァン・ラモ・キルティ僧院

写真は四川省ンガバ州ゾルゲ県。タクツァン・ラモ・キルティ僧院内。2013年4月24日、ここで2人の僧侶が焼身・死亡しているが、公安の監視下、人々は花を手向けることもできない

 アジア自由放送(RFA)によれば、2009年以降、5月30日現在、合計136名のチベット人(中国チベット自治区ほか、インド、ネパール在住を含む)が焼身抗議、内死亡者数は113人にも達している。僧侶、尼僧に限らず、一般の若者も多いのが痛ましい。  彼らが今、焼身抗議という手段に駆り立てられるのはなぜなのだろうか。  前出・中原氏が語る。 「チベットの若者の多くが、中国政府による抑圧に対し、ダライ・ラマ法王もご高齢を迎えている今、何かしなければという危機感を抱えています。といって、デモに行けば、石も投げ返してしまったり、警官を殴り返すなど暴力的な気持ちを抑えられなくなる。そこで、最期に『チベットに自由を! 独立を! ダライ・ラマ法王帰還を!』と叫び、自分自身の幸福を望むのではなく、捨身つまり『焼身』という最高の非暴力による利他の心を体現し、良き死を遂げることで、良き来世を迎えようとする。我々からすれば痛ましく、悲しいことと感じますが、仏教を信じている彼らだからこその行為なのでしょう」  実は中国においても立ち退きを迫られた住人が抗議の手段として焼身を行うことはままある。しかし、これは仏教徒であるチベット人や前述のティック・クアン・ドック氏の焼身とは異なるものだと、石濱教授(前出)はいう。 「追い詰められて衝動的に自らに火を放つ人は、絶望や怒りを動機としていますが、大乗仏教徒の焼身者はこれとは異なります。仏教徒は自分の友ばかりでなく敵も含めたすべての他者の苦しみを引き受け、安楽をもたらすことを理想とするので、彼らは前もって決意し、自分の身をチベットに捧げるという旨の遺書を残して焼身を決行しています。無私であるが故にその行いは他者への影響力があります」  とはいえ、尊い命である。ウイグル、チベット、内モンゴル、台湾、尖閣、南シナ海……嫌中ムードが世界に広がる中、このような形での抗議が続かないことを祈るばかりである。 <取材・文/日刊SPA!取材班> 【石濱裕美子氏】 早稲田大学教育・総合科学学術院教授。早稲田大学文学研究科後期課程単位取得後退学。文学博士。チベット仏教世界(チベット・モンゴル・満州)の歴史と文化を研究。著書に『ダライ・ラマの仏教入門』(光文社)『世界を魅了するチベット―「少年キム」からリチャード・ギアまで』(三和書籍)ほか多数 【中原一博氏】 インド・ダラムサラ在住。1985年よりチベット亡命政府のもと、「ダライ・ラマの建築家」として活躍。ブログ『チベットNOW@ルンタ』等を通じてチベットの最新情報を発信し続けている。著書『太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議』(電子書籍)は、焼身者124人の記録と分析を通じて、2009年以来続く焼身抗議の全貌と背景を伝える。ダライ・ラマ法王の見解や各国の反応もまとめられている
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