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元落語家がパンクロッカーになった理由

 毎回、8~10人ぐらいのメンバーが、ステージ上だけでなくフロアやスピーカーの上などで暴れまくり、ときには大根やぺヤングなどを散乱させたり、ときにはラッパーの顔をガムテープでぐるぐる巻きにしたり、そしてときにボーカルの男性が全裸に、さらにはボーカルの女性が亀甲縛り姿になって観客を煽りまくる。そんなハチャメチャなステージングで一度観たものの心を掴んで離さないバンド、NATURE DANGER GANG(ネイチャー・デンジャー・ギャング。以下、NDG)。

NATURE DANGER GANG(ネイチャー・デンジャー・ギャング)

NDGのライブの模様

 そんな激しいパフォーマンスをするNDGの中で、着物を着て、まるで落語家のようないい声と口調で口上をする男性のメンバーがいる。春太郎という名前の彼は、現在30歳。その経歴を聞くと「まるで落語家」というのは大きな間違いで、実は2013年の9月まで前座として落語家としての修業をしていたという元本職だった。しかも、彼が入門していたのは「今、もっともチケットが取れない落語家」であり、先頃にはドラマ『ルーズベルト・ゲーム』への出演も話題となった立川談春師匠だという。

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NDGのライブで歌う春太郎氏

 しかし、落語という伝統芸能の世界と、時代の最先端を行く音楽をやっているバンドの世界には大きな落差があるように思えてならない。そこで、なぜ彼が落語家を辞め、パンクバンドに在籍するようになったのかを聞いてみることにした(ちなみに、NDGの音楽性は正確にはゲット・テックやレイブ・ベースミュージックというジャンルになるらしいが、リーダーのSEKI氏には「パンクで全然いいです。わかりやすいんで」と豪快に言っていただいたので、本稿では「最先端のパンク」ということにさせていただく)。

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NDGのリーダーでありボーカルのSEKI氏

◆パンク青年と立川談志との出会い

「もともと僕はオタクだったんですが、専門学校のときにセックス・ピストルズを改めて聴いてパンクに目覚めたんですよ。実は母親には『赤ん坊の頃にピストルズを聴かせると落ち着いた』って言われていて、一緒にピストルズが再結成して日本に来たとき(1996年)にライブに行ったりしていたんですけど。で、パンクに目覚める前は尾崎、長淵、そしてアニソンぐらいしか聴いていなかったです(笑)」

 しかし、そんな元オタクのパンク青年が、今度は落語に目覚める。それまではテレビで落語を観て「あ、いいかも」と思っている程度だったが、故・立川談志師匠のベスト盤CDボックスを聴いたことで衝撃を受けたのだ。だが、それは談志師匠が亡くなる前年、2010年のことだった。

談志師匠の落語に精神的なパンクを感じたんですよね。それまでは落語というのはものすごいきっちりとしたものだと思っていたんですが、『この人は何を言っているかわからないけど、刺々しさみたいなものがある』と。『落語は人間の業の肯定』ということを談志師匠はよくおっしゃっていましたが、そういう部分を受け取ったんでしょうね」

 それまでは「落語界のような縦社会は自分には向いていない」と思っていたが2010年10月の終わりに、談志師匠に入門を願い出る。しかし、当時の談志師匠の体は進行する咽頭癌に蝕まれていた。

 勇気を出して「弟子にしてださい!」と申し出た春太郎氏に対し、談志師匠はしゃがれた声で「あー、そうか。んー、でもねぇ、もうこの通りねぇ、声が出なくて。下の者まで面倒がみきれないんだよね、ごめんね。落語家になりたいんだったら談春の弟子になったらいいんじゃないか」と言ったという。

「それでも、弟子になりたいと食い下がったんですが、そしたら談志師匠が本当に困ってくださって。これは本当に申し訳ないと思って弟子入りをあきらめたんですが、最後に談志師匠の本を取り出して、『これにサインしてください!』って。『おお、いいよ』とこころよく書いていただきましたが、弟子入り志願者のくせにサインをねだるなんて、当時の僕はものすごくわかっていないヤツだったんですよ(笑)」

◆談春一門での修業時代

 だが、落語家への夢は捨てきれない。落語のセミナーに通ったりしたのち、談春師匠の落語に魅了され、翌2011年の5月に談春師匠へ入門を願い出ることに。春太郎氏が27歳のときだった。

「履歴書を送ったのちに、はじめて師匠に会っていただくことになったんですが、これまたやらかしてしまいまして。喫茶店で待ち合わせていたんですが、緊張でもうどちらが上手かわからなくなって、喫茶店の方に『偉い人を待つときはどっちに座ればいいんでしたっけ?』と尋ねたら『奥です』と(笑)。で、奥に座っていたら師匠がいらっしゃった時点で顔がものすごく怒っているんですよ。『馬鹿野郎、こっちに座れ』って。僕も内心、『やっぱりね』って(笑)」

 そして、談春師匠に入門したい理由などを聞かれたのち、談春師匠は「ウチはな、入門するときに補償金として30万円を弟子から取っているんだ。お前、それをどうやって用意するつもりなんだ」と切り出したという。

 これに対して春太郎氏が「親に借ります!」と大きな声で答えたら、談春師匠は噴きだしながら、「こういう質問に対してお前はためらいなく『母親に借ります』と言った。俺はそれはダメだ。まあ、カネがないのなら待ってやってもいい。だから、なんとかしろ」と入門を認められた。

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取材に答える春太郎氏

 それからは厳しい前座修業の日々。約半年経った2011年末の忘年会のときに師匠から「春太郎」という名前をつけてもらったという。その命名が終わった瞬間に、談春師匠と深い交流のあるさだまさしさんが「春太郎、いい名前じゃない」と言ってくれたというのも、春太郎氏にとってはいい思い出だ。さらに初高座では「ものすごいウケた」と言うから、とてもよい滑り出しだったようだが、入門から2年半で春太郎氏は談春一門を去ることになる。一体、何があったのだろうか?

「初高座でいい評判もいただきまして、よし、落語に邁進するぞという気持ちだったんですが、別の弟子の失敗がきっかけで、談春一門の弟子全員が連帯責任で謹慎、ということが2度ほどありまして。そのときに『やってられない』とすごく腐ってしまったんですよね。どんどん新しい落語を覚えなきゃいけないのに、あまり覚えられない、というふうになってしまって」

 落語立川流は前座の次の段階である二つ目に上がるためには、落語50席と歌舞音曲をマスターしなければならないという、談志師匠がつくった厳しい基準がある。さらに、談春一門には「5年で二つ目になれなければクビ」というさらに厳しいハードルも。

「結局、2年間で15個ぐらいのネタを覚えたんですけど、焦ってしまう気持ちも強くて。落語に向き合えなくなった時期に体調も崩してしまい、師匠の会に行けなくなってしまって。それで『休みます』と連絡することもできなくなってしまい、すっぽかしてしまう形になりまして」

 だが、結果的には円満に一門を去るという形になり、談春師匠からは「もう二度と顔を出すな、の破門じゃない。またやりたいと思ったら訪ねてこい。俺はお前が『落語がやりたいんだ』という強い意志をもって入ってきたやつだと感じた」という言葉をもらったという。

「泣きそうになりましたね。たったの2年半ですけれど、2年半でも師匠から言われた言葉は染みついていますし、今でもよく思い出します」

 この言葉に対し、NDGのダンサー・CHACCA(チャッカ)さんは「(春太郎氏は)師匠の話をよくしているよね。なんかあるたびに『師匠にこんなことを言われた』って、師匠愛すごいな、大好きじゃんって思わされます」と証言してくれた。

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NDGのダンサー・CHACCA(チャッカ)氏

◆そして、音楽の道に

 2013年9月に談春一門を去ってから、専門学校時代からの友人であるSEKI氏に誘われ、「今はもうとにかくなにかをやりたいし、参加させてもらおう」とNDGに加入。他のメンバーからは、「NDGのマスコット的存在」(SEKI氏)として愛されているという。

「やっぱりオタクですし、調子がいいとアンコールで『哀戦士』(映画版『ガンダム』の挿入歌)をフルコーラス歌いますからね」(SEKI氏)

「元落語家ですし、異色ですよね、やっぱり。オタクなところも含めて『日本!』っていう感じがするんですよ」(mmeegg!!(メグメグ)氏/ボーカル)

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ボーカルのmmeegg!!(メグメグ)氏

「NDGのメインの2人(SEKI氏とラッパーの野村氏)はステージでは暴れまわっているので、ちゃんと歌ってくれるのが春太郎くんとmmeegg!!ちゃんなんですけど、SAXで生演奏をしている僕としては助かりますね」(福山タク氏/SAX)

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SAXの福山タク氏

「確かに、春太郎はダントツに声がいい」(SEKI氏)

 パンクが好きで、落語にパンク魂を感じて飛び込み、また再びパンクの世界に戻ってきた春太郎氏。伝統の世界と最先端の音楽シーンを行き来したことで、まったく新しい表現を見せてくれることに期待大だ。

※そして次回、今、最も注目すべきバンド・NDGのハチャメチャな世界を、メンバーの座談会を通じてお伝えする。

<取材・文/織田曜一郎(本誌) 撮影/難波雄史・山田耕司(本誌)>




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