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ドウェイン・ジョンソンの最高にシビれたジャパン・ツアー【フミ斎藤のプロレス講座・第12回】

ドウェイン・ジョンソン プロレス的にはやっぱりザ・ロックである。世界最強のハリウッド・スーパースター、ドウェイン・ジョンソンとその一行はあっというまにやって来て、あっというまに帰っていった。ロック様のボキャブラリーをあえて拝借するならば、ザ・モースト・エレクトリファイイングthe most electrifying――最高にシビれる、感情または興奮の高まりをひき起こすさまの最上級レベル――なジャパン・ツアーだった。

 ドウェイン・ジョンソンの2泊3日の東京滞在のメインイベントは、さる10月19日、六本木ヒルズで開催された映画『ヘラクレス』(10月24日から全国ロードショー公開)のジャパン・プレミア。レッドカーペットでのサウンドバイツ&ファン・グティーティング、舞台あいさつ、そして映画『ヘラクレス』のプレミア上映の“3本立て”が六本木ヒルズに集結したライブ・オーディエンスを最高にシビレさせた。

 主催者サイドが報道陣に配布した進行表には“ご取材スケジュール”と題して「16:15~進行説明&セッティング」「16:30~イベント開始→キャスト登場・フォトセッション」「16:35頃~サウンドバイツ・ファングリーティング」「17:40頃~サウンドバイツ・ファングリーティング終了→移動」「〈舞台挨拶@スクリーン7〉18:00~舞台挨拶→キャスト登場」といった“取材の流れ”が記されていた。サウンドバイツとは、テレビやラジオのニュース番組やワイドショーなどに挿入されるインタビュー録画(録音)の抜粋、短く編集された構成ビデオのこと。わかりやすくいえば“ぶら下がり取材”のことだ。

 六本木ヒルズ・大屋根プラザの特設レッドカーペットにスーツ姿のロックが現れたのは、予定よりも30分ほど遅れて午後5時ちょっとまえだった。悲鳴と歓声とがミキシングされた地鳴りのような大音響が響き渡り、“ロッキー、ロッキー”の大コールが起きた。その瞬間からロックの自由気ままな動きそのものがリアルタイムのタイム・スケジュールに早変わりして、主催者が作製した進行表も“ご取材スケジュール”もどうでもいいものになった。監督、プロデューサーらの紹介とフォトセッションもいきなりふっ飛んだ。ほとんどのオーディエンスはどうやら映画ファンではなくて、予想どおりといえば予想どおりWWEユニバース――プロレスファン――だった。

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 それは映画俳優ドウェイン・ジョンソンというよりもロック自身のプロレスラーとしての嗅覚のようなものだったのだろう。ロックが――セキュリティーの誘導を無視するようにして――まず足を運んだ先は、ファン・グリーティング用セクションのちょうど裏側、一般ファンがぎゅうぎゅうにスシづめ状態にされたブロックの最高列のあたりだった。

 ロックは「ハイ!」「よく来てくれたね」「ありがとう!」と文字どおりグリーティングのことばを口にしながら、そこにいる数百人のファンがいっせいに差し出す握手の手をひとりずつ握り、サインペンの持ち主には「ちょっと借してね」とひとこと声をかけ、色紙やポートレートやノートの上にペンを走らせ、手が届かない距離にいるファンのひとりひとりとはていねいにアイ・コンタクトを交わしていった。

 これはあるWWEスーパースターから聞いたはなしなのだが、オートグラフ(サイン)にはいちどにたくさんの人たちと接触するときの“2秒サイン”、ちょっとだけコトバを交わしながらの“10秒サイン”、まあまあ時間があるときの“フルサイン”の3種類があるのだという。こういうファン・グリーティングの場面ではどうしても“2秒”バージョンのサインになってしまうのだろうけれど、それでもロックは時間を気にするようなそぶりをまったく見せることなく、目の前にいるオーディエンスのひとりひとりと“対戦”し、そのひとりひとりにとってはおそらく一生の記念品になるであろう直筆のオートグラフをサインしつづけた。

 レッドカーペット側ではイベントの司会・進行役がマイクを使ってなにかをアナウンスしているが、なにも聞こえない。セキュリティーに周囲をガードされながらのロックのファン・グリーティングだけがそのまま約1時間つづいた。ロックが1メートル移動するたびにオーディエンスの大歓声とどよめきも1メートルずつ移動していった。

 ロックにとってはこれが12年ぶりとなる通算3回めの来日。ちょっと意外な感じではあるが、プロレスラーとして日本で試合をしたのは2002年のWWE日本公演のときだけで、前回の来日も映画『スコーピオン・キング』のプロモーションだった。ロックのなかにプロレスラーと映画俳優のふたつの自我が存在するとしたら、プロレスラーとしての自我は――少年時代に祖父“ハイ・チーフ”ピーター・メイビアと父ロッキー・ジョンソンが話して聞かせてくれた――日本のリングで試合をすることをいまでも強く希望している。ロックが日本という国、日本のオーディエンスとのあいだに感じているという特別なコネクションは、やっぱりプロレスというみずからのバックグラウンドのなかにある。

 ハリウッドではいちおうそういうコンセンサスになっているのかもしれないけれど、ロック自身はプロレスから引退したつもりはまったくないし、プロレスラーとしてのアイデンティティーも“消去”していない。ハリウッドへの本格的進出からちょうど10年が経過した2011年からはプロレス活動を再開し、WWEの祭典“レッスルマニア27”(2011年4月3日=ジョージア州アトランタ)ではオープニング・ホストをつとめ、“レッスルマニア28”(2012年4月1日=フロリダ州マイアミ)と“レッスルマニア29”(2013年4月7日=ニュージャージー州イーストルサフォード)では2大会連続でジョン・シーナと対戦した(戦績は1勝1敗)。

 ことしの“レッスルマニア30”(2014年4月6日=ルイジアナ州ニューオーリンズ)のオープニング・セレモニーにもハルク・ホーガン、“ストーンコールド”スティーブ・オースチンといっしょにゲスト出演したし、来年の“レッスルマニア31”(2015年3月29日=カリフォルニア州サンタクララ)ではトリプルHとの対戦がウワサされている。おそらく、ロックにとって“レッスルマニア”は年にいちどのライブの超大作なのだ。そして、いまのロックには「プロレスなんかとはもうかかわるな」というハリウッド・ポリティクスを黙らせるだけの発言力と政治力があるのだろう。

 特設レッドカーペットからTOHOシネマズ六本木スクリーン7に移動しての舞台あいさつではロック、ブレット・ラトナー監督、ボー・フリン/プロデューサーの3人がステージに登場した。ラトナー監督は「この映画をつくるために日本の偉大なる黒澤明監督の作品を勉強した」と前置きしてから「最強のスーパーヒーロー――ロックが演じるギリシャ神話の英雄ヘラクレス――が暴れまくる最強のムービーのためにハリウッド史上おそらく最大のセットをこしらえ、撮影にのぞんだ」とコメントした。何千人もの兵士がいちどに闘う大草原での戦闘シーンは、黒澤ムービーのオマージュなのだという。

映画『ヘラクレス』のジャパン・プレミア 舞台あいさつセグメントのMCはプロレス中継でおなじみの辻よしなりで、会場内から「辻さん、実況してよ!」と軽いヤジが飛ぶと、辻アナウンサーもとっさにプロレス的なボディーランゲージでリアクションをしてみせた。プロレス畑ではないジャンルの人びと――ここでは映画業界、広告業界の人びと――がステレオタイプなプロレス的空間をプロデュースしようとするとやはりこういう人選になるのだろう。辻アナウンサーが立っている場所は、20年くらいまえだったら古舘伊知郎が立っていたポジションである。

 ぼくはハワイで育ちました。祖父と父がプロレスラーという家庭に育ち、ぼくやぼくのイトコたちもプロレスラーになりました。ハワイのプロレスは日本のプロレスと深い関係にあり、ぼく自身も少年時代、アントニオ猪木、タイガーマスクらの映像に強い影響を受けました。プロレスラーになったときから日本に来ることが夢でした。またこうして来日することができてすごくハッピーです。飛行機を降りた瞬間からずっとみなさんの愛を感じています。まだ3回めのですが、ぼくにとっては特別な場所です。スーパーマン、バットマンなどいろいろなスーパーヒーローがいますが、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスこそ人類最古のスーパーヒーローです。ぼくは5歳のときにヘラクレスを知り、そのストーリーにインスパイヤされました。ヘラクレスを演じるために6カ月間のダイエットとハードトレーニングを積みました。バッド・アスBad Assなヘラクレスを演じるためです。

 ロックからのグリーティングはプロレスファンに向けられたメッセージだったが――それが一般常識のレベルといってしまえばそれまでのことなのかもしれないけれど――壇上にいた同時通訳さんは“アントニオ猪木”を“トニー・アオキ”と誤訳した。

 MCの辻アナの「ここで、だれかを忘れてやしませんか、という人が登場します」というフリで、舞台の上手から武藤敬司が登場してきた。

 これもまたプロレス畑ではない人びとがプロレス的空間をプロデュースしようとするとこういう演出になるという典型的なパターンなのだろう。特別ゲストとしてステージに上がってきた武藤は、映画『ヘラクレス』のなかでロックが来ていた衣装とそっくりにつくられたライオンの頭の毛皮と革の全身プロテクターを身につけていた。カンタンにいってしまえば、いわゆるお笑い系の“かぶりモノ”である。現在進行形のプロレス・シーンではまちがいなくいちばんビッグなスーパースターである武藤――おそらく武藤自身はそういうことにまったくこだわりがない――も、こういうところでは色モノにされてしまう。

 ロックは「ぼくの必殺技のひとつにピープルズ・エルボーという技があるのですが、これはグレート・ムタのエルボーからインスパイヤされたものです」とコメントし、武藤も「だったら、ロイヤリティー(使用許諾料)払ってよ」と冗談っぽくリクションしたが、このあたりのやりとりは正確には通訳されなかった。ロックのトレードマーク技のピープルズ・エルボーが武藤のオリジナルのフラッシング・エルボー(ドライビング・エルボー)という技のオマージュであったことは知る人ぞ知るエピソードであるが、ロック自身がパプリックな場所でその“秘話”を紹介するのがおそらくこれが初めてのことだ。

 ファンとの質疑応答のコーナーでは「プロレスのトレーニングと映画用のトレーニングの違いは?」「頭のお手入れはどんなふうにしているのですか」という質問に、ロックは「プロレス時代は年に250~300試合をこなしていたので、トレーニングはメインテイン(体力維持)のためでした。いまは毎朝4時に起床し、カーディオ(心肺循環器系)のトレーニングをして、それから朝食。それからまたトレーニング……」「(この頭は)電気カミソリで1日おきに剃っています」と答えた。

斎藤文彦

斎藤文彦

 ロックはファン・グリーティングでそうしていたのと同じように、劇場内のオーディエンスのひとりひとりとアイ・コンタクトを図っているようだった。そこにいたオーディエンスの多くが「ロックがオレのほうをみてくれた」「わたし、ロック様と目が合っちゃった」という感覚を抱いた。それこそがプロレスファンだけが感じることのでき、実体験としてずっと大切にしていくことのできるパーソナルなコネクションなのである――。

文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ

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