カナダ、NYでテロ続発。映画から読み解く「テロリズムの現在と未来」
カナダの首都オタワにある国会議事堂で10月22日に発生した襲撃事件が大きな波紋を呼んでいる。戦没者慰霊碑を警備中の兵士1名を射殺し、議事堂内で警察官らと銃撃戦の末に射殺されたのがイスラム教に改宗した30代の男だったことが分かり、イスラム過激派組織「イスラム国」の呼びかけに応えた報復テロとの見方が強まっているためだ。
また、翌23日にアメリカ・ニューヨークで同じくイスラム教に改宗した30代の男が、斧で警察官を次々と襲撃した事件について、ニューヨーク市警が24日、「イスラム過激思想に共鳴した男による『テロ攻撃』だった」と断定したことが報じられた(10月25日付読売新聞)。
これまでも新聞各紙は、ネットなどを通じて過激派組織の思想にハマったり、海外渡航で軍事訓練などを受けるなどして自国民が国内テロを起こす「ホームグロウン・テロ」の危険性について、識者や公安部関係者のコメントを交えて紹介していた。
◆「自殺願望の舞台装置に使いたいだけ」
10月6日に過激派組織「イスラム国」に参加するため海外渡航を企てたとして、警視庁公安部から私戦予備・陰謀の疑いで、事情聴取を受けた北大生(26歳)=休学中=についても一部のメディアは、「前代未聞の無差別テロを引き起こしたオウム真理教事件の再来を危惧する声も出ている」と日本における国内テロの危険性にまで言及した。
しかし、北大生の動機に関しては、フリージャーナリストの常岡浩介氏が「彼は結局、シリアが破滅的な場所というイメージでとらえて、その場所を自分の自殺願望か、破滅願望の舞台装置として使いたいというだけの人」(東京ブレイキングニュース 10月11日付)と指摘したように、単なる「自分探し」君だったことが暴露されている。
今回のカナダの事件、ニューヨークの事件を含めた欧米諸国の状況と日本の状況を同じ視点で論じるのはかなり無理があるのだ。
◆欧米は侵略主義への憤りから。日本は単なる「自分探し」
パラダイス・ナウ』(’05年)は、ごく普通の若者2人が「自爆テロリスト」(自爆テロの原語は”Suicide bombing”なので正確には”自爆攻撃”)になっていく過程を描いた珍しい映画で、同胞がイスラエルによるガザ空爆などで殺戮されるのを座視していていいのかと自問し、苦悩する心の機微が焦点となっている。
この点「ホームグロウン・テロ」も、場所がパレスチナではないだけで米国やイスラエルに代表される侵略主義などに対し、同じ憤りを共有しているのだ。日本のような「自分探し」君とは出自も動機もまったく異なるのである。北大生事件をきっかけに注目されたシリア内戦に戦闘員として参加した青年(26歳)は、「僕は思想には興味がなく、ただ戦いたいだけ」(週プレNEWS 10月14日付)と発言していたが、ムスリムの戦闘員が聞いたらイスから転げ落ちるだろう。事実、「一部のイスラム原理主義の人たちからも非難されました」と正直に告白している。
◆一匹狼型は予測不能な脅威だが、現実味なし
「ローンウルフ(一匹狼型)」のテロも欧米では発生しているが、日本ではその可能性はかなり低いだろう。
カナダ・ドイツ合作の『ザ・テロリスト』(’09年)は、1人の若者がありったけの武装を施してテロを決行した場合、どれだけ大勢の人々が犠牲になるか、というシミュレーションを映像化した稀有なB級アクションだが、直前まで両親はおろか、毎日顔を合わせている親友までもが計画に気付かないローンウルフの特徴を見事に押さえている。
現在、ケイシー・アフレック主演で映画化が進んでいるボストンマラソン爆破事件や、ノルウェーテロ事件がこのタイプに属する。要するに、誰にも相談せず、秘密裏に準備・実行されるため、捜査当局にとっては事前にマークすることが困難な脅威となる。しかし、日本では通り魔ならいざ知らず、こんなスケールのテロが起こるだろうか?
今回のカナダの事件がまさにそうだが、大量の移民が流入して来ていること(カナダのムスリム人口は100万人を超えている)と、銃所持が当たり前にようなお国柄でないとこの種のテロは起きづらい。さらに決定的なのは、日本が反「イスラム国」で連携する有志国連合の空爆作戦に参加していないことだ。なぜなら「イスラム国」は、この有志国連合に居住している共鳴者らに市民殺害などを盛んに呼びかけているからである。
◆汚染水に飛び込ませる!? エコテロリズム
では、なぜ日本の捜査当局やマスコミがこんなに大騒ぎをするのか。
北大生の事件があまりにも典型的と言えるが、捜査当局は、米国が主導する「イスラム国」包囲網に乗っかっている姿勢をアピールする狙いがあったようである。さらに、国内テロの可能性に触れることで、捜査機関としての存在感を示せるということもあるだろう。しかし、北大生の事件については、「イスラム国」の司令官クラスと直接連絡が取れるイスラム学者やジャーナリストから情報を得る(盗む?)ためだった、という「別件ありき」との見方が濃厚になっている。そもそも捜査当局が情報自体にアクセスできていないというのだ。彼我の差はあまりに大きい。
話をテロの可能性に戻すと、日本で想定されるとすれば、今年1月公開のアメリカ映画『ザ・イースト』(’13年)がモチーフにしたエコテロリズムではないだろうか。まだ日本では参加する側としてのなじみは薄いが、調査捕鯨を攻撃したシー・シェパードなどの団体が有名である。
映画では、薬害をもたらした企業の幹部にその薬物を飲ませる、工場から汚染水を垂れ流した企業の社長を汚染水の池に飛び込ませる等々、無差別テロではなく企業側の責任者を特定して同じ目に遭わせる個人テロといった感じである。ただ、こういった環境保護系の過激団体が国内から出現するかどうかは大いに疑問だが……。
◆マスコミや政府の不誠実さがテロの動機に!?
いずれにしても、北大生の事件以降、欧米諸国で相次ぐテロを評して、日本における国内テロの懸念へ安易につなげる論調には警戒する必要があるだろう。テロに対する警戒ではなくてテロに対する論調への警戒こそが求められているのだ。
視聴率や売り上げのためなら冷静な視点を欠いてでも不安をあおり立てたいマスコミと、’20年の東京五輪に向けて、存在意義を示したい捜査当局。今後も「銃を撃ってみたい」「戦争をしてみたい」「イスラムの戦士になって人を殺してみたい」といった、常軌を逸した「自分探し」君が現れることは間違いない。
今年9月に公開された韓国映画『テロ,ライブ』(’13年)は、テレビ局と政府を標的にした大規模な爆弾テロ事件の内幕と並行して、犯人を買収してでも視聴率を稼ぎたいテレビ局の幹部や、ニュースキャスターの「腹黒さ」をこれでもかと描写した傑作だった。
この映画の最大のポイントは、その肝心のマスコミや政府の不誠実さこそが犯行の動機であったという犯人の台詞にこそある。犯人の父親が信頼を寄せていたニュースキャスターが、最後に反省して犯人に誠実に向き合い「おれも体制側のクソ野郎だった。悪かった」という意味の言葉を口にするが、まだこんな社会派娯楽作を生み出せるだけ救いがあるとも言える……。
文/真鍋 厚
もともと「ホームグロウン・テロ」という言葉には、欧米諸国で生まれ育ったムスリム2世、3世が差別や格差などの社会問題を背景に、疎外感を強めて過激派思想にハマった末に犯行に及ぶという意味合いが強い。パレスチナ人のハニ・アブ・アサドが監督した『
『テロリスト・ワールド』 なぜ、それは〈テロ〉と呼ばれるのか? |
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