なぜフランスでテロは起こるのか? 映画から読み解く黒歴史
カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「憎しみ」(’95)は、移民青年の絶望を見事に描き、当時のフランス社会に衝撃を与えた。ちょうど10年後のパリ暴動を予見した作品だ。
ある移民の少年が警察官に暴行され、重体となる。それをきっかけにパリ郊外のスラムで暴動が発生。ここに住む移民二世である3人の若者の地獄のような1日が展開される。
この頃からこういった若者たちが過激派に誘引される危険性は指摘されていた。
一方、問題の深刻さだけでなく解決に向けたヒントを示唆する映画もある。
大ヒット作「最強のふたり」の監督&主演コンビによる「サンバ」(’14) http://samba.gaga.ne.jp/ もそのひとつだ(現在公開中)。
アフリカ系移民のサンバ(オマール・シー)は、ビザの失効で突然国外退去を命じられる。移民支援協会の担当者アリス(シャルロット・ゲンズブール)などとの出会いを通じ、少しずつ希望を取り戻すかに見えるが、厳しい現実が行く手を阻む……という筋書き。
この映画のポイントは、個人と個人のささいなつながりの大切さだ。
結末は本編を観て頂くとして、やはり気になるのはフランスにはなぜこんなにも大勢の移民がいるのか、だろう。
◆植民地時代、移民政策までさかのぼるツケ
簡単にいえば、それはフランスの植民地政策と移民政策のツケだ。
例えば、北アフリカのアルジェリアは、130年以上フランスの統治下にあった。その間、自国の文化を破壊され、産業や土地を略奪され、多くの人々は職を求めてフランスに渡った。これが事実上の移民の始まりとなる。
そして、第二次大戦後の労働力不足により移民の大量受け入れが続いた。しかし、その多くは貧困層となり、失業率も高いまま。差別もひどい。不公平感は相当なものだろう。
アルジェリア移民の両親を持つ襲撃犯の兄弟もまさにその渦中にいた。
つまり、様々な負の因子がたまたまテロといった形態を取ったにすぎない。問題の根っこは何のケアもされず社会から孤立してしまう若者たちの存在なのだ。
なお、アルジェリアの悲劇は、独立運動における血みどろの応酬をドキュメンタリータッチに描いたヴェネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞作の「アルジェの戦い」(’66)、近年では「いのちの戦場―アルジェリア1959―」(’07)で確認できる。
◆「楽観的」「前向き」が処方箋に
「サンバ」の監督オリヴィエ・ナカシュは、NHKのインタビューに対し、フランス社会の病気を治す“薬”は「楽観的であること」「前向きであること」と語った。「分裂よりも共生を信じる」と。彼もアルジェリア移民二世である。
フランスといえば「自由・平等・友愛(博愛は誤訳)」の理念で知られる。
今は、「テロとの戦争」ではなく「テロより友愛」をスローガンに、「テロなんかダサい」と思える魅力的な社会を作ることが重要なのではないか。 <文/真鍋 厚>
フランスの週刊紙「シャルリ・エブド」襲撃事件などを受けて、オランド大統領は中東海域に空母を派遣する方針を打ち出し、バルス首相は「テロとの戦争に入った」などと宣言。まるで9.11直後のアメリカのような噴き上がりをみせているが、すでに欧州メディアの一部からは移民や失業などの国内問題をそらす狙いか、との鋭い批判がなされている。
フランスは政府を挙げて、「表現の自由」VS「イスラム過激派」の対立を印象付けたがっているが、「シャルリ・エブド」の最新号は世界中のイスラム教徒の怒りに油を注いだだけ。死者まで出る始末だ。
そもそも「シャルリ・クリバリのような気分だ」とつぶやくのがNGで、ムハンマドを侮辱する風刺画がOKというのはグローバルスタンダードでもなんでもない。
ローマ法王までもが「表現の自由には限度がある」などとコメントしなければならないほどに事態は悪化しているのだ。
◆なぜ襲撃の実行犯が移民だったのか
それよりも目を向けなければならないのは、なぜ襲撃の実行犯が移民だったのかという素朴な疑問の方だろう。
フランスにおける移民の現状は危機的だ。
移民問題の深刻さについては、下手な入門書を読むより優れたフランス映画の鑑賞が理解の助けになる。
『テロリスト・ワールド』 なぜ、それは〈テロ〉と呼ばれるのか? |
『いのちの戦場 -アルジェリア1959-』 ここに正義はない―― |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ