ココイチ創業者が“ビーフカツ偽装販売騒動”を語る「お客さまの信頼を裏切るようなことは絶対ダメですね」
’78年に「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業以来、20年以上増収増益を続け、世界一のカレーチェーンに育て上げた創業者・宗次德二氏。’02年に壱番屋代表取締役会長は退き、「創業者特別顧問」に就任している。そんな宗次氏の素顔に迫るべく、今回、カレーハウスCoCo壱番屋1号店「西枇杷島店」で話題のビーフカツを食べながら取材を決行した。
――ココイチといえば今年1月に、廃棄処分したビーフカツが産廃業者に偽装販売されていた事件が話題になりました。宗次さんは、この事件をいつ知ったんですか?
宗次:事件の起こった日に、社長室長から電話がきて「今日のニュースでこんな報道が流れると思います」と言われたのが最初ですね。もともとココイチではこれまではニュースになるような事件は一度もなかったので、驚きましたけど。
――風評被害など、経営に悪影響が出るのではと心配はありましたか?
宗次:いいえ、していませんでした。もともと、今回も県から紹介された産廃業者さんに、しっかりとした契約に基づいて依頼をしていたので。大量の廃棄処分品を見て「もったいない」と思う気持ちはわかりますが、お客さまの信頼を裏切るようなことは絶対ダメですよね。
――今、召し上がっているビーフカツのお味はいかがですか?
宗次:うん、おいしいです! 普段は野菜カレーにイカフライをトッピングして、ビーフソースをかけるのが好きですが、ビーフカツのトッピングもいいですね。私はね、ココイチのカレーは毎日食べても飽きないんですよ。社長時代は視察で一日平均5食くらいカレーを食べましたが、まったく飽きなかった。
――ココイチを創業したのは奥様と2人で始めた喫茶店でカレーを出したのがきっかけだそうですね。
宗次:店で出すカレーの評判がよかったので、「カレーだけの店をやったらどうだろう?」と、専門店をつくったんです。「自分たちのカレーが一番おいしい。“ここがいちばんや”」と思って、「CoCo壱番屋」という店名をつけました。
――ダジャレだったんですね!
――小さい頃から、カレーはお好きだったんですか?
宗次:いえ、うちは貧乏だったので、小さい頃はほとんど食べた記憶はありません。店で出したカレーも、もともとは妻の実家のカレーがベースです。私は孤児院育ちで、いまだに両親も親戚のことも一切知らないんですよ。3歳のときに養父母に引き取られたんですが、養父がギャンブル好きで電気代や水道代も払えないような貧乏家族で。しかも、途中で養父に愛想を尽かし、養母も蒸発してしまったので、ご飯はだいたい自分で用意していましたね。
――どんな食事でしたか?
宗次:貧乏なのでお米はなかなか食べられず、メリケン粉を水で溶いたものや雑草を食べて暮らしていました。子供の頃に食べて一番おいしかったのは、年に2回、養父が買ってきてくれるリンゴでした。あとは幼少期の思い出といえば、よく一人でパチンコ屋に行っては、床に落ちているシケモクを拾い集めていたこと。養父はシケモクをパイプに詰めてよく吸っていたので、彼を喜ばせるために、よくパチンコ屋に通っていました。
――壮絶な子供時代ですね……。
宗次:アハハ。ただ、私はすごく楽観主義者なので、一度も自分のことを不幸だと思ったことはないんです。今みたいに恵まれた時代でもなかったというのはあるんでしょうが。ただ、当時から「人生はこんなものだから、他人に頼らず、迷惑をかけず、一人でコツコツ生きていこう」と心に決めていて、その姿勢が社長時代に生きた部分もあると思います。
――経営に生きたのはどのような部分でしょうか?
宗次:とにかく私は「人に迷惑をかけたくない」という気持ちが強かったので、何事も自分で考えて、行動するようになりました。店の経営に関してコンサルタントの先生に相談したことはないし、会費を払ってセミナーに行ったこともないです。「そんな暇があるなら、店舗に行って、お客さまに満足してもらうにはどうしたらいいかを考えるほうが有益だ」と、現場主義をとっていました。
※このインタビューは週刊SPA!3/15号のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです
<取材・文/藤村はるな 横山 薫(本誌) 撮影/増田岳二>
孤児院育ちの少年がカレー屋を創業
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