沢田研二ドタキャン騒動で知った…反原発・反核の人になっていたジュリー
いまだ余波が収まらない、沢田研二のドタキャン騒動。
10月17日、さいたまスーパーアリーナで予定されていたコンサートを当日になって中止し、本人は帰ってしまった件だ。翌18日にメディア陣の取材を受けた沢田研二は、イベント会社から動員数が9000人と聞いていたのに直前に7000人だと聞かされたと明かし、「客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと。『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる」と中止の理由を語って謝罪した。
一方、ある個人のツイートをもとに、ネットニュースの一部が「会場で反原発の署名集めをしようとして、会場ともめたせい」という説を報じた。だが、J-CASTニュースの取材(10月19日)に対して、沢田研二の事務所は「署名活動を行うときは、すべての会場に許可を求めており、埼玉スーパーアリーナではやる予定はなかった」と否定、会場側も「署名の話はなかった」と否定した。
これらの報道で初めて知った人も多いと思うが、実は、沢田研二は熱心な反原発論者。東日本大震災の翌年2012年以降、毎年3月11日に、反原発や反核平和をテーマにした4曲入りシングルをリリースしているのだ。たとえば2018年3月にリリースした『OLD GUYS ROCK』に入った「核なき世界」は、「核なき世界 嘘果せても 逃げ果せても」「傘が命を護りはしない」「国はみんなを護りはしない」といった歌詞だ。
それにしても、いつから沢田研二は政治的な行動をするようになったのだろう? この10年で何度もコンサートに行ったファンはこう言う。
「よく知られるようになったのは2008年頃だと思います。私、2008年12月の還暦コンサート(東京ドーム)に行きましたが、6時間以上、80曲を歌い続けて素晴らしかった。
そのときコーラス隊をバックに歌った曲が『我が窮状』。これは、自分の窮状と、憲法9条をかけてるんですよ。えっ、ジュリーがいつの間にか護憲派になってる!とびっくりしましたけど。仕事が減った自分の窮状を素直に歌っちゃって、ダジャレで9条にかけるってすごいな、と」(50代男性ファン)
『我が窮状』は沢田研二作詞で、「麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ」「我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない」など、ストレートな政治ソング。この曲以来、沢田研二の思想信条はファンならみんな知っていたことだという。
「2011年の東日本大震災でにわか反原発論者になったわけじゃなくて、その前から『反核平和』の人だった」(50代女性ファン)わけだ。
また、今回のドタキャンについても、前出のファン2人は「ジュリーらしいと言えばらしい」との感想。昔から、沢田研二はキレやすいことで有名だったという。
例えば「2015 沢田研二 正月LIVE」(1月20日、東京国際フォーラム)では、2時間歌ったあとのMCで、沢田はイスラム国の日本人人質事件について語り始めた。客席から「歌って~」の声が飛ぶと、これに激怒した沢田は、「黙っとれ! 嫌なら帰れ!」とステージ上で怒鳴り、会場を凍り付かせた。また、2004年にも直前にコンサートを中止したことがある。
そういう面も含めてジュリーだということで、ネット上には今回のドタキャンを擁護するファンの声も少なくない。
スター・沢田研二に「大人になれ」と言うだけ野暮なのかもしれない。<文/日刊SPA!取材班>
沢田研二は本気の反原発論者
2008年還暦コンサートで“憲法9条賛歌”を熱唱
ドタキャンは「沢田研二らしいと言えばらしい」
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