大津波伝承ハザードマップ【西日本編】
―[先祖伝来の[大津波伝承]に学べ]―
東日本大震災で多くの人の命を救ったとされる先祖代々語り継がれてきた大津波伝承。そこで、小誌取材班が全国各地に今なお残る大津波にまつわる言い伝えを徹底調査。実際に現地を訪れ、風化しつつある先人たちの津波警告をリポートする!
●清岩庵・津波の碑(三重県鳥羽市浦村町)
津波の到達地点に建立された自然石の碑文。1858年、この地区にあった清岩庵の住職が刻んだという碑文には、「湧き上がるような潮、山のような白波が、山腹を直撃した」(訳)とその津波の凄まじさが伝えられている。なお、今も清岩庵は浦村町でもっとも山の手にある寺院であり、同地区の約300世帯の家屋はすべてかつての津波到達点の下に建てられている
●大津なみ心え之記碑(和歌山県有田郡湯浅町)
1854年に安政東海地震に続き、安政南海地震が連続して近畿を襲った。和歌山県沿岸部は大津波により未曽有の被害を負った。多くの犠牲者を出した同地域では深専寺に供養塔を建立。被害の恐ろしさを伝えるとともに「地震が発生したら、この寺の前を通り天神山に逃げよ」と具体的な避難ルートまで教えてくれているが、現在、山は宅地造成され、高台は近くに存在しない
●大地震両川口津浪記(大阪府大阪市)
安政の東南海地震(1854年)による津波の犠牲者を慰霊する碑で、大阪市の指定文化財。津波の被害描写や、地震後に船の上に避難した人々が津波で全滅したことが記されている。また、1707年の宝永地震でも同じようなことがあったのに教訓を生かせなかったことも記述。また、石碑が風化して碑文が読めなくならないよう、定期的に墨が入れられ、今も碑文の文字は黒々としている
●春日神社の敬渝碑(徳島県板野郡)
「敬渝」とは「変をおろそかにしない」という意味があり、安政南海地震(1845年)の様子が漢詩で刻まれている。内容は「山は鳴り大地が揺れ、寺社や人家が多く倒れ、(中略)津波で田や桑畑は海のようになった。恐ろしくあの世に陥るくらいの惨状である」と書かれている。さらに碑には震災翌日に「流言(デマ)が飛び交った」とある。災害後は今も昔も変わらないということか
●蛭子神社の百度石(徳島県徳島市)
市東部の沖洲地区にある蛭子神社の石碑。安政南海地震の被害と、同規模の地震が100年に一度はやってくるという警告文が記されている。さらに、震災時に船で逃げることの危険性や、落ち着いて火の元の処理をすることなど地震と津波に対する教えも。この石碑があるのは徳島市の南海地震津波ハザードマップで0.5~2mの浸水被害に遭うとされているエリアだ
●つなつけ石(高知県香美市)
文献に残る日本最古の地震とされる「白鳳の大地震」(684年)で到達した津波で、船をつなぎ止めて被害を防いだと言い伝えられる石。その石があるのは、なんと標高600m以上の山の山腹。文献によれば、白鳳の大地震では土佐湾岸の広大な土地が水没したと伝えられ、平野部の水没に備えて山間に船を用意したという伝承はその付近にも残っている
― 先祖伝来の[大津波伝承]に学べ【5】 ―
この特集の前回記事
ハッシュタグ