伝説的RPG『MOTHER』の生みの親・糸井重里が制作秘話を明かす
今、『MOTHER』シリーズに再び注目が集まっている。11~12月には大阪と東京でグッズのリアルショップが期間限定オープン。12月には『MOTHER』シリーズの全セリフ集も上梓される。’89年にファミコンで発売され、現代アメリカを舞台に少年少女が冒険する新鮮な切り口が話題となったRPG『MOTHER』。
糸井重里がゲームデザインを手がけたシリーズ全3作は、いずれも感動の名作として、いまだに国内外のゲームファンに語り継がれている。シリーズ開始から30年強を経ても冷めやらない周囲の熱狂ぶりに、生みの親は何を思うのか? 仕掛け人の糸井を訪ねた。
――まず、コピーライターとしてご活躍されていましたが、なぜ突然ゲームを作ることになったのか。当時のことを教えてください。
糸井:当時『ドラゴンクエスト』をプレイしたら非常に面白くて、それなら馴染みのある現代を舞台にRPGを作ったらもっと面白いだろうなと思ったんです。それで思いついたアイデアをメモしたノートを、ほかの用事で任天堂に行くときに持っていって売り込んだ。でも、反応がイマイチな気がして僕はガッカリして帰ってきたんだけど、実は任天堂はやるつもりだったみたいで。返事が来たときには制作が決まった状態でした(笑)。
――この12月には『MOTHER』シリーズの全セリフ集も発売されます。当時セリフは糸井さんがすべて執筆されたのでしょうか。
糸井:はい。1作目の『MOTHER』(以下『1』)のセリフは原稿用紙に書いていたので紙がどんどん増えていって。『2』の途中からアシスタントに僕がしゃべったセリフを打ち込んでもらってました。『1』のときは、リアルに確認できるようにマップもプリントして広げていたんですよ。そしたらつなげたマップが制作のために借り切っていたアパートの部屋を飛び出した(笑)。それを僕は「こんな広いマップを歩いて冒険をするんだ!」と誇らしく思っていたのを覚えています。
――デジタルの裏側はかなりアナログだったんですね。
糸井:「実はアナログを意識してデジタルを作っていた」というのが当時の感覚ですね。現実とゲームの世界は地続きだ、ということが僕らはとても好きだったんだと思います。
――ファミコンでは珍しかった現実世界でのRPGという切り口は、のちの『ポケットモンスター』にも影響を与えた気がします。
糸井:『ポケモン』制作者の田尻智さんが『MOTHER』をすごく好きだったようで、「『MOTHER』みたいなものを僕らも作りたかったんですよね」と言ってくれたことがありますね。どこかに本当にポケットモンスターはいるんだという、その発想はなんとなく近いものがあると思います。
――『MOTHER』は、『大乱闘スマッシュブラザーズ』にも参戦している『2』の主人公ネスをはじめ、リボンをつけた大きな鼻を持つ謎の生命体「どせいさん」など、さまざまな人気キャラを生み出しました。一番思い入れのあるキャラは?
糸井:どせいさんはほかのゲームにはいないタイプですし、みんなが好きになってくれた。好きにならせる力があったという意味でも僕にとってスターですね。無垢なんだけど無限に可能性があるイメージが、なんとなく好きです。
もともと僕が原作を担当した『情熱のペンギンごはん』というマンガに出てくるペンギンがイメージの原型。『情熱のペンギンごはん』には魔女が煮詰めたスープみたいなものが入っています。あれがなければ『MOTHER』もなかった。『情熱のペンギンごはん』は純文学、それを商業演劇にしたのが『MOTHER』、かな?
※12/8発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです
【SHIGESATO ITOI】
’48年、群馬県出身。’80年代にコピーライターとして脚光を浴びる。その後は作詞や文筆、ゲーム制作、声優などあらゆる方面で活躍。近年は株式会社ほぼ日代表取締役社長として多くのコンテンツやアイテム、流行を生み出している
取材・文/卯月鮎 時弘好香(本誌) 撮影/鈴木大喜ゲーム雑誌・アニメ雑誌の編集を経て独立。ゲーム紹介やコラム、書評を中心にフリーで活動している。雑誌連載をまとめた著作『はじめてのファミコン~なつかしゲーム子ども実験室~』(マイクロマガジン社)はゲーム実況の先駆けという声も
実はアナログを意識してデジタルを作っていた
『MOTHER』の人気キャラに込めた思い
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