スチャダラパー×SITE(Ghetto Hollywood)90年代ヒップホップカルチャー回顧録!
週刊SPA!で大好評連載中の「少年イン・ザ・フッド」。著者SITE氏の実体験をベースにした“ヒップホップドキュメンタリーコミック”は、単行本化すれば即重版化するなど、シーンで大きな話題を集めている。2020年12月15日には待望の第二巻が発売され、こちらも翌日には重版が決まる好調ぶり。
漫画はもちろん面白いのが、豪華過ぎるコラム! スケートビデオの紹介コラムでは、「Big Pants―スケートボードis素敵」(HIDDEN CHAMPION刊)で知られるスケーターである柳町唯氏が担当。さらに巻末対談に登場するのは結成30周年を迎えたスチャダラパー! 今回は特別にその対談の一部をご紹介する。司会&原稿執筆は高木“JET”晋一郎氏。「1にビート、2にベース、3、4がなくて5に余談」な精神で、弛~くみえてコアな内容を是非チェックを!
(※対談は『少年イン・ザ・フッド』2巻より一部抜粋して構成しています)
――そもそもSITEくんがSDPに出会ったのは?
SITE 中1のときから洋楽のヒップホップを聴き始めてたんですけど、中2のときに『タモリのボキャブラ天国』のエンディング曲で「今夜はブギー・バック」(94年)を聴いて、それでレンタルCD屋でSDPのCDを借りて一気にハマったんですよ。でも、同級生に「お前、小学校のときに『ゼルダの伝説』のCM曲だった「GAME BOYS」(91年)聴かせたら『こんなのダメだろ、MCハマーみたいにファンキーじゃない』って言ってたぞ」って(笑)。
Bose その比較が時代だね(笑)。
SITE そこから学校でSDPを広めまくって。あと「ポテン・ヒッツ~シングル・コレクション」(94年)のブックレットに載っていた、LBネイションのファミリーツリーを見て、キミドリやTOKYO No.1 SOUL SETも聴きはじめて。それからBoseさんと電気グルーヴのピエール瀧さんがMCをされていた『ポンキッキーズ』。
Bose この2巻(少年イン・ザ・フッド)でも話題にしてくれたもんね。
SITE いろいろわかり始めてたんで、朝の番組で「EZモック」を推しているのを観て、この人ヤバすぎるなって(笑)。
Bose 「ポンポポンポ ポンキッキーズ!」ってフレーズもガンショットをイメージしているからね(笑)。
SITE 電気グルーヴも「ポポ」を流してたり、この人たち、悪いな~って。
――「ポポ」の映像もグニャグニャですもんね(笑)。
Bose プロデューサーが気づいて「瀧くん、これ大丈夫?」って言ったら、瀧は「なんですか? 汽車の話ですよ?」って(笑)。
――開き直られたら何も言えない(笑)。SDPはダウンタウンの番組でゲーム対決するなど、メディア露出が多かったですね。
SITE でも、SDPってテレビに出ていたけどセルアウトはしなかったじゃないですか。
SHINCO セルアウトするほど出てないしね(笑)。
SITE SDPのことをいろいろ叩いている人は少なくなかったんですけど、結局、SDPのほうがハードコアだったってみんな気づくっていう。
Bose ハードコアかはともかく「さんピン」より「大LB夏まつり」に出ていた連中のほうが育ちが全然悪かった、っていうのはある(笑)。
SHINCO あるね~。
ANI 学歴比べてみ?っていう(笑)。
SHINCO 親の総資産とか(笑)。東京のスケーターも最初はだいたいお金持ちの子だったし、当時ヒップホップもそういう流れだったよね。
ANI 結局レコードや機材を買わなきゃいけないし、若くてそれができるのはおのずと育ちがいいっていう。
SITE SOUL SETも文系みたいにいわれるけど、「ロンドンナイト」の流れですよね。
Bose だからあの周りはケンカしたら絶対強い(笑)。今だとBAD HOPとか舐達麻みたいな「本当に育ち悪いんだ!」みたいな子も増えたけど、当時は「育ちがいいから悪ぶる」っていうのと、うちらみたいに「育ちがたいしてよくないから賢ぶる」みたいな、どっちもコンプレックスがあったんじゃないかな。あと、憧れの方向性が違ったよね。多くの人はアメリカとか外国にダイレクトに憧れていたと思うけど、僕らはヒップホップと並行してみうらじゅんさんとか、いとうせいこうさんみたいな、いわゆる「宝島」カルチャーに影響を受けたり、憧れたりしたから。
SHINCO 川勝正幸さんの存在も大きかったよね。僕らを見い出していろんな人に引き合わせてくれて。そういう人たちの影響があるから、いわゆるUSヒップホップそのまんまになりたい、みたいなことにはならなかったね。
SITE スチャダラって「後輩」を持たなかったじゃないですか。LBの若い人も後輩って感じじゃないし。
Bose うちらも師匠がいないからね。みうらさんとか久住昌之さんのことを勝手に師と仰いでいるだけで。それに先輩・後輩みたいなのが苦手だからもともと。
SHINCO タテ社会嫌いだし。
SITE その意味では、僕やサイプレス上野も直系の後輩じゃないけど、SDPには多大な影響を受けていて。なにしろ僕はSDPのビデオ「ファンタスティック・ビデオ・フェスティバル」(95年)を見て、桑沢デザイン研究所行っちゃったんですよ。
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「大LB夏まつり」に出ていた連中のほうが育ちが悪い(Bose)
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