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ドリー・ファンク・ジュニア、最愛の弟テリーと1983年のプロレス界を語る

 今からちょうど40年前の1983年。  新日マットでは、ホーガンのアックスボンバーに猪木が失神し、長州の「噛ませ犬」発言から藤波との名勝負が繰り広げられ、カブキの帰国でペイントレスラーブームが巻き起こった。全日マットではザ・ファンクスが解散する一方、馬場からエースの座を継いだ鶴田が天龍とタッグを組み、最強外国人タッグ・ハンセン&ブロディと激闘を繰り広げた。  そんな昭和プロレス激動の年の様子を、先日亡くなったテリー・ファンクとザ・ファンクスを組んだ実兄ドリー・ファンク・ジュニアに語ってもらった。(記事は『俺のプロレス Vol.05 検証 激動の1983年』より抜粋したものです)

永遠のライバル・ハンセン&ブロディへの思い

テリー(左)とドリーという実の兄弟で組んだザ・ファンクスは、外国人=ヒールという当時の図式を覆し、ベビーフェイスとして絶大な人気を博した(Photo by 平工幸雄)

──取材テーマは「1983年のプロレス界」なんですが、1983年という年を振り返ると、どんなことが思い出されますか? ドリー・ファンク・ジュニア(以下、ドリー):40年前というとずいぶん昔だけど……プロレスの歴史の中で見ても、素晴らしい時期だったよね。私はその頃、ノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションや、日本のミスター・ババの元で仕事をしていたよ。 ──その年は、4月の『グランドチャンピオン・カーニバル』で2週間、8月の『スーパーパワーシリーズ』で1週間、年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』で3週間試合をしていますね。当時、日本とアメリカでどういう風にバランスを取って戦っていたんでしょうか? ドリー:本当に日本とアメリカを行き来して戦っていたね。馬場さんも私たちのことを必要としてくれたし、アメリカでもジム・クロケットをはじめとして多くの試合を組んでもらっていた。まだ若かったし、毎日の試合が楽しみだったよ。プロレスを通じて多くのことを成し遂げることができたという点で、自分にとって素晴らしい1年だった。 ──この頃のファンクスは、1982年初頭から参戦したスタン・ハンセンに一番のターゲットにされていました。この頃のハンセンの勢いについて、どう感じていましたか? ドリー:彼はいつもものすごい勢いで攻めてくるから、少しも気が抜けなかったよ。私は、スタン・ハンセンの「リング内でのレスリング・スキル」にはいつも尊敬の念を抱いていたんだ。常にファンの期待を裏切らないファイトを展開していたし、まさにプロレス・エンターテインメントの歴史の中でも、“巨匠”と呼んでいい一人だと思うよ。 ──ハンセンはブルーザー・ブロディとタッグを組んで、1983年には春の『最強タッグ・リマッチ・リーグ戦』と年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』の両方で優勝しました。彼らの強さをどう感じましたか? ドリー:ハンセンとブロディは、それぞれが超一流のシングル・プレイヤーだった。その2人がタッグチームとして合流したときは、リング上にかつてないほどの強力なスピリットが生まれていたね。2人とも、素晴らしいのひとことだったよ。

テリー引退。ドリーはジャイアント馬場とタッグを組むことに

──テリーさんは「さよならツアー」で全国を巡り、1983年8月31日、引退試合を行いました。ドリーさんも最後の1週間に帯同し、引退試合ではタッグを組んで戦いましたね。この試合の思い出は? ドリー:テリーをタッグパートナーとして失ったことはとても残念だったね。でもこの時点で彼のコンディションは、確かにそれまでと同じように続けていけるような状況ではなかったんだ。それはずっと一緒にやってきていた私には、よく分かっていたことだった。だから引退は仕方ないことだと思っていたし、納得もしていた。そして、最後の引退試合はとても誇らしい試合だった。長年組んでいたテリーというパートナーがいなくなったけど、その代わりに馬場さんとタッグを組めたことはとても大きなことだったし、馬場さんと組んでの試合は、ファンクスとはまた違った、とても素晴らしいものになったね。 ──このシリーズ各地、そして最後の蔵前大会では、ファンの間ではテリーさんとの別れを惜しむ大フィーバーが起きていました。それを見てどう感じましたか? ドリー:本当に多くのファンが、テリーのために集まってくれて、しかも熱狂的な声援をくれていた。正直、驚いたよ。でも同時に、ファンクスがどれだけ日本のファンの心を動かしているのかがわかってとても嬉しかったよ。 ──先ほどのお話でも出ましたが、テリーさんの引退後、年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』では馬場さんとタッグを結成されましたね。馬場さんとのタッグはいかがでしたか? ドリー:私はファンクスとして戦うことはできなくなったけど、馬場さんをパートナーに日本でプロレスを続けられることに感激したんだ。馬場さんの申し出に、一も二もなくOKしたよ。馬場さんには愛と尊敬の念を抱いているので、パートナーとして、そして対戦相手としても、リングに上がるたびに光栄な思いを抱いていたね。 ──馬場さんとは、タッグを組むのと戦うのとでは、どちらがよかったですか? ドリー:タッグを組んだときの方が、人生について、馬場さんについて学ぶことができたね。自分自身、馬場さんのパートナーとしてリングに上がることで、より多くのことを学び、より多くのことをリング上で発揮できるようになったんだ。馬場さんは素晴らしい技術と考え方の持ち主で、より細かい技術を理解させてくれた。

2022年に出版されたドリーの自伝『THE LAST OF A GREAT BREED』。いずれ日本版も発売されることだろう

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全日マット日本人枠では鶴田&天龍が成長真っ盛り
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俺のプロレス Vol.05

プロレス“激動の1983年” 当事者の証言で構築

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