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「惚れてまうやろー!」で一世を風靡したWエンジン・えとう窓口の今。故郷の大分に移住し、収入は3倍に

コロナ禍をきっかけに、リモートワークが進み、都心から地方への移住がブームとなったことは記憶に新しい。その流れはお笑い芸人にも波及しており、ゆかりのある地域に密着した活動を行う“地方移住芸人”はいまや珍しい存在ではない。 しかし、全国地上波で活躍した実績があっても、移住先で安定した人気と仕事が得られるとは限らない。地方ならではのシビアな一面や、ローカルメディアの独特なルールなどと向き合う必要があるようだ。 かつて「惚れてまうやろー!」「気をつけなはれや!」のフレーズで一世を風靡したWエンジンのツッコミ担当・えとう窓口氏は故郷の大分県に移住し、3年目を迎える。移住するに至った経緯や、実際に住んでみての所感について忌憚なく語ってもらった。
えとう窓口

えとう窓口氏

移住を告げた時、相方は…

――移住のきっかけは、やはりコロナ禍だったのでしょうか? えとう窓口:50歳になった自分が、「どこで何をして生きるべきか?」ということを考え始めていたタイミングに、コロナ禍になって。営業の仕事なども全てできなくなったんですよね。一時期は、知り合いの農家でアルバイトして食い繋ぐなんてこともしました。でも、二人目の子供が産まれたタイミングで移住して、本気で大分のために仕事をしようと思ったんです。家族には申し訳なかったですけど。 ――相方であるチャンカワイさんは、移住を告げた時、どのような反応でしたか? えとう窓口:第一声は、「おいおいおいおい!」って感じですよね、そりゃ(笑)。でも、お互いピンの仕事がメインになっていて、営業がなくなってからは会う頻度も年に1、2回。お互い結婚して子供も産まれて、守るべきものが変わったからこそ、一人の父親として理解を示してくれました。もちろんベースには、寂しいという想いを抱いてくれていたと思いますが、「覚悟して行くなら、応援はします」と言ってくれました。

「テレビで求められる役割」に変化が

――移住前から、故郷の大分県でのレギュラーの仕事は持たれていました。移住前と後で、芸人やタレントとして求められる役割に変化はありましたか? えとう窓口:移住前は、僕自身が東京で活躍することが、大分の宣伝になると思っていましたね。「東京で戦ってた僕」に価値を感じてくださっていたからこそ、情報番組のレギュラーに起用していただいていたのだと思います。移住前後で変わったのは、主に話す内容です。東京での生活や仕事についてを話していたのが、“大分在住者目線”で話してほしいと頼まれるようになりました。あとは、一家で移住したので、“えとう家”へのオファーが一気に増えましたね。 ――大分移住に対して、大分県民の反応はどんなものだったのでしょうか? えとう窓口:8割、9割は「大分によう帰ってきてくれた。盛り上げてな!」と快く受け入れてくれましたが、やはり1割ちょっとは「東京にいたからこそ価値があったのに」というシビアな意見で……。まあ、僕も「確かにそうだよね」とは思うんですけど(笑)。
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“大分ならでは”のローカルルールに苦戦
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歌手・音楽家・仏像オタクニスト・ライター。「イデア」でUSEN1位を獲得。初著『生きるのが苦しいなら』(キラジェンヌ株式)は紀伊國屋総合ランキング3位を獲得。日刊ゲンダイ、日刊SPA!などで執筆も行い、自身もタレントとして幅広く活動している
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