「眼ヂカラ」元カリスマホストが歌舞伎町再生を語る!
再開発、景気の悪化、そして震災……私、苫米地も10代から夜遊びのイロハ、はたまた人生を教えてもらった歓楽街・歌舞伎町が往時の賑わいを失くして久しい。
そんななか、街とともに生き、その「眼ヂカラ」で街を見つめつづけてきた、元カリスマホストの頼朝社長が、不夜城・歌舞伎町の本質に迫った著書『THIS is KABUKICHO』(シーズ情報出版)を出版した。
「歌舞伎町を裏から支えている人々と、これからの歌舞伎町をより良くする方法を考えた」という頼朝社長。社長の独自の人脈で、歌舞伎町に携わる様々な立場の人と、様々な角度から対談している。
ヤクザや風俗、水商売の人々が毎日訪れ、そのナマの声を傍らで見聞きしてきた「某喫茶店の元店員」とは、古くから存在し、ある意味街を秩序立ててきた”歌舞伎町ルール”を語り、街を彩る「キャバ嬢」「ガールズバー店員」とは今の客を語り、この街の発展の鍵を握る「歌舞伎町商店街振興組合理事長」や「新宿区議会議員」との対談では、風適法に関わる深夜営業や、特区新設などの大胆な改革論にも言及する。
一方で、歌舞伎町が歓楽街になる前から住んでいる人が多いという地区「歌舞伎町2丁目町会長」とは「歌舞伎町と住宅街」という一見相反した存在が共存する道を探る。さらには、歌舞伎町の外れに位置するゴールデン街の組合理事長とは、現在と昭和30年代の古いゴールデン街の地図を持ち出しながら、歌舞伎町やゴールデン街の関係性を紐解く。そして街の鎮守、稲荷鬼王神社の宮司とは「歓楽街・繁華街の心の拠り所とは?」という精神性にまで踏み込む。
震災前から取材に取り組んでいたが、「震災後はその方向性を変えざるえなかった」という頼朝社長。「歌舞伎町という”共通語”で話をすると、いろいろ気を使わなきゃいけない面もあった」とその苦労ものぞかせた。
外から見た歌舞伎町には、いまだに偏見があり「怖いところでしょ?」と言われることもしばしばだという。頼朝社長はそれを承知した上で、「当事者だった自分が、あえて第三者的視点に立つことで、その偏見を払拭することに挑戦したい」との意欲をのぞかせていた。
その歌舞伎町をひとことで表すと? という問いには「いろんな人が集まり、様々な人生を投影しているこんな街は日本中にない。歴史的に全国の、いや世界中の”猛者”が集まってそれを”整合”してきて発展してきた街。歌舞伎町は住む人、商いをする人、そしてお客が”ひとつに繋がってきた場所”、まさに、清濁併せ呑む場所なんです」と持論を展開する。
「しかし、ここ5年くらいでその繋がりがプツンと切れて、みんなが守ってきた”ルール”なんて知らぬと、各々で好き勝手にやりはじめたツケが、この客離れにも繋がったと思う。とくに震災後、感じたのは、日本全体に言えることでもあるけど、まず街が再び”ひとつになる”こと。難しい日本の問題が凝縮されているのがこの街、歌舞伎町だと思っています」
頼朝社長は歌舞伎町の再生と、日本復興の未来を、その鋭すぎる「眼ヂカラ」で見据えていた。
取材・文・撮影/苫米地
◆頼朝社長
71年生まれ(40歳)歌舞伎町のホストで成功し、現在は歌舞伎町で飲食店等を経営する実業家、TBSテレビ『サンデージャポン』等ではタレントとして活躍。著書に『男の裏顔 女の裏顔−自分のヒキを強くする(秘)テクニック』『あなたはナンバーワンにななれる−脱サラホストが明かす「もう1人の自分」の創り方』
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ