「あんな遠かった戦争が、間近に迫って来た感じがある」――映画『野火』が迎えた終戦記念日
塚本晋也監督の新作『野火』が話題になっている。
日刊SPA!でも、「グロ描写以上にエグい『無感覚』という究極の地獄まで表現した(戦争)映画」と紹介。
塚本監督作『六月の蛇』に主演したコラムニスト・神足裕司氏も、シベリア抑留を経験した父親の芋嫌いのエピソードをひきながら、「戦争というものが、こんなに悲惨で、とてつもなく恐ろしいものであること、そんな当たり前のことを改めて実感させてくれる」と絶賛している(『週刊女性PRIME』)
今年55歳の塚本監督が原作である大岡昇平の小説『野火』と出会ったのは高校生のときだという。30代に入り映画化を熱望しはじめるも、スポンサー探しは難航。結局、自身が監督・脚本・撮影・編集・製作・主演を手がけ、多くのボランティアスタッフの力を得ることで、3年前、制作がスタートした。
そして、終戦から70年という節目の今夏、ついに公開。20年超の『野火』映画化の構想の中で、「終戦記念の日に劇場にかかるように上映したいという思いが大きくなった」あったそうで、塚本監督も深い感慨をもって8月15日を迎えたよう。
8月15日の『野火』を追った。
⇒【写真】はコチラ nikkan-spa.jp/?attachment_id=915142
◆川崎市アートセンター 14時
110余りのチケットは上映開始一時間ほど前には売り切れ。ロビーでは多くの人が開場を待ち、劇場を訪れたものの入場できず残念そうに帰っていく人の姿も見られた。客席は、上は戦争を体験したような世代の方から、下は20代と思しき若者まで老若男女で埋め尽くされていた。
そして上映。観客たちは、「マニラ城外の柔らかい芝の感覚、スコールに洗われた火炎樹の、眼が覚めるような朱の梢、原色の朝焼と夕焼、紫に翳る火山、白浪をめぐらした珊瑚礁、水際に蔭を含む叢等々、すべて私の心を恍惚に近い歓喜の状態においた」(『野火』岩波文庫)と大岡昇平が描いた南洋の極彩色の中で、戦争を「浴び」、塚本監督演じる田村一等兵を追体験することとなる。
スタッフロールが終わり、灯りが着いても、しばらくは現実の劇場の椅子には戻ってくることができなかったか、会場は金縛りにあっているかのような緊張感に包まれていた。
その後、行われたトークショーで塚本監督は、「自分が戦争映画を作るのであれば、加害者になってしまう恐怖を描かなくてはいけないなと思っていた」と語り、現在のこの国に流れる空気への危機感について触れた。
◆塚本監督が抱いたふたつの危機感
塚本:戦後70年になり、レイテ島にいかれた方も90歳を超えています。
作品を作るにあたり、僕も戦争を体験した方にお話を伺ったんですが、戦争の恐ろしさというのは、肉体的苦痛であり、それは絶大な苦痛なわけです。それを体で知ってらっしゃる体験者の「戦争はイヤだ!」という強い気持ちに抑えられていた“もの”が、彼らが少なくなり、抑える力がなくなって、だんだん浮上してきている。そんな図式が、僕にはクッキリ見えるような気がしてならないんです。
「戦争なんかよくない」というあまりに当たり前のことを言うと、「不謹慎だ」と言われたり、不思議なバッシングを受けるような感じが漂うようになりました。そんなことでバッシングがくるようでは、『野火』なんて作ったらエラい騒ぎになっちゃうような世の中がもうすぐ来るのではないかって。
その中で、ふたつ、はっきりとした危機感があって、ひとつは僕のエゴの危機感。自分が何十年も前から作りたかった映画が作れなくなったら大変だという危機感。
もうひとつは、そんな世の中になったら大変だから、そんな世の中になる前にこの映画を打ち上げて、そんな空気は完璧に潰しておかないと、という危機感です。
映画『野火』では、極限の飢餓状態に置かれた人の姿が、リアルに描かれる。そこにヒロイズムの恍惚はない。塚本監督は映画化にあたり、レイテ島への遺骨収集事業にも参加。そこでは、あの時のあの島を経験した人にもインタビューを行ったという。
塚本:レイテ島では戦闘で亡くなる方も多かったんですが、それよりも圧倒的に多かったのが飢餓状態で亡くなった人なんですね。そのお腹の減り具合の状態のお話を聞いたり、写真を見せてもらったりしたのですが、想像以上でした。
いちばんショックだったのは、自分の体が悪くなって腐ってしまったところにわいたウジを食べたという話で、それを聞いたときに、もう究極だなと思ったんです。
マラリアにもかかっていて、意識が朦朧としていたときだったそうですが、動いているもの、食べられるものは口にする。そこから、いろいろなことの想像がつく。
原作では、人肉を食べるかどうかの問題は神様の問題が入ってくるくらい、ある種、荘厳な悩みとして描かれますが、体験者のお話を聞くと、もっと本能的な動物的な苦しみと悩みだったように思えてならなかったんです。
究極的な状況にあるときに、動いているお肉が目の前にいたら、仲間でも……というのが、自然なことになってしまう状況。結局は、そういう状況になってしまう戦争とは?というところに立ち返るわけです。
続く、質問コーナーでは、映像の描写への質問が続く。登場人物が、現代風の話し方をしているのは、「観てる人が入りやすく、今現在に行われている状況としたかった」ため。
戦局などの説明を一切省かれているのも、「『昔のことなのね』ってお客さんがちょっと距離をおいて安心して見るという状態がイヤだなと思った。まずは、浴びていただきたかった」から。
繰り返し触れられたのは、歴史の出来事として距離を置いてみるのではなく、その場のものとして「浴びてほしい」という監督の思いだった。会場は、その言葉に深く共感しているように見えた。
◆渋谷・ユーロスペース 18時半
夕方になり、渋谷のユーロスペース。この日は、25歳以下500円という「自主映画としては英断」(宣伝)のキャンペーンが行われていたため、場内は若い世代が目立つ。
17時の上映後に行われたトークショーでは、塚本監督に加え、究極の状態下で人格を豹変させていく青年兵・永松を演じた森優作も登壇した。
塚本監督の森に対する印象は「森君は、ふにゃあとしたやわらかいキャラクターなんですけど、最初、オーディションにきたときから、豹変していく永松の役をいかにもやってくれそうな予感がはっきりあった」。
そして実際、「撮りが経つにつれて、演技そのものに興味が出て、自分でも面白くなっている様子があった。意識的に演技をしていて、最後のシーンも相当な集中力で、ゆるぎない雰囲気でやってくれた」とその演技を評した。
◆戦争のリアリティを「知る」難しさ
森自身はというと、「お芝居をすること以前に、等身大の自分が戦争という状態に放り込まれてしまったらどうなるんだろうということを頭において、常に現場に立った」と語ったが、この作品への出演は、25歳の彼に大きな影響を与えたよう。
森:(レイテ島の戦闘については)ぜんぜん知らなかったです。自分は身の周りに起こっている状況にどちらかというと疎いほうでしたし、戦争といえば、小さい頃に見た日本映画の戦争が自分の中のスタンダードでしたから、『野火』の物語は衝撃的でした。実際にこういうことがあったんだという事実を知ることができただけでも考え方が変わりましたし、すごい経験をさせてもらいました。
具体的には、物事に対してすごく敏感になりました。当時の戦争で何が行われたのかを受け止めながら、今いる自分はどうなんだ?というのを、ものすごく考えるようになりました。「戦争」という言葉すら距離を感じるので、「戦争」自体ということよりも、今の社会を意識するようになったという変化はありました。
一方、塚本監督も「彼の30歳上の僕の世代だって、高度経済成長期で戦争の面影ってまったくなかった。実を言うと、僕も森くんと同じように、戦争のことはわからなかった」と続けた。
塚本:むしろ、『野火』を作るとなってから、いろいろなものがリアルに見えてきました。映画全体を作りながら、時間は戦争からどんどん経っていくのですが、意識としてはどんどん見えてきた。いろんな方の話を伺って、そういう方たちの話と自分の知識とが結びつき、一体感をもって、「そうだったんだ」「こうだった」いうのがだいぶわかってきた。
アンテナを立てて、自分から接近していかないと戦争のリアリティはつかめないんだろうなという気はします。だって、学校の授業でも戦争に入る前にだいたい、終わっちゃうんですよ。春休みがきて(笑)。なかなか、気づかないというのが現状だと思う。
自分が、ぼやっとしていたときは、戦争は絶対悪というのが当たり前の世の中だったので、『野火』を作るのも、普遍的な物語を作る、テーマそのものは新しくはないけれど、素晴らしい内容をたっぷり映画にするという感じだったんですけど、今は、そういう感じでもなくなりました。
ある種、あんな遠かった戦争が、むしろ間近に迫って来た感じがあるので、森くんとかの若い世代の方は、昔の僕のようにボーとしているのではなく、かなりアンテナを立てて耳をダンボにして、社会と接していかないといけない世の中になってきちゃったという感じがしますね。
その後、彼氏の影響で塚本作品はすべて観ているという24歳の女性から、鬼気迫る芝居への役作りの質問があり、塚本監督は沖縄の初日にひどくうなされたエピソードを披露。「オススメの戦争映画は?」という質問には、フランシス・コッポラ監督『地獄の黙示録』、オリバー・ストーン監督『プラトーン』を推薦し、「ナショナリズムを高揚させる悲しいヒロイズムな映画もたくさんあるんですが、素晴らしい監督は、悲しいヒロイズムの映画は作らない」と言葉を添えた。
19時の回の上映時間が迫り、トークショーは終了。ロビーで行われたサイン会は川崎同様、ここでも長蛇の列となった。
“なにか”によって内側から浸食され壊されていくというのは、本作も変わらず、塚本作品に共通したテーマといえる。しかし、映画『野火』で、森演じる永松ら、兵士を浸食していったものは、現実にある“戦争”。
川崎の会場で塚本監督は、「戦争映画としてではなく、不条理劇として観ていただいてもいい」と語っている。そう、不条理なのが戦争。その恐ろしさを、終戦記念のこの日、映画『野火』を通じて観客は痛感したに違いない。
※映画『野火』は、都内では、渋谷ユーロスペース、立川シネマシティで公開中。川崎市アートシアターでも8月28日まで上映している。ほか、全国公開中
詳細は公式サイトにて http://nobi-movie.com/
<取材・文/日刊SPA!編集部>
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ