5年後には見られなくなる東京の風景。第二 六本木ヒルズも登場か
2020年の東京オリンピック開催を契機にして、東京がその姿を変えようとしている。特に大きな注目を集めているのは、巨額の建設費が問題にもなっている新国立競技場や、多くのオリンピック競技場が集中し高層マンションの建築ラッシュが現在も進んでいる豊洲・有明などの東京湾岸の埋め立て地、「東京ベイゾーン」だ。
しかし、同時に古くから親しまれてきた馴染みの街並みも今、歩調を合わせるかのようにして、再開発の動きが活発化している。そう遠くない将来大きく変貌するだろう、東京の街の風景をまとめてみた。
◆JR中野駅に駅ビル
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「サブカルチャーの聖地」といわれて久しい中野。
01年の警察大学校の移転をきっかけに、12年に緑地を備えた大規模複合施設が完成し、キリングループなどの企業が本社を移した。13年には明治大学と帝京平成大学のキャンパスが、その翌年には早稲田大学の学生寮が開設され、中野の昼間人口は2万人以上増えたといわれる。
今後は、増加した駅利用者の回遊性を高める狙いから、中野駅西側に南北通路と新改札が開設される予定。
またJR東日本は「ルミネ」や「アトレ」などの駅ビル事業を展開しているが、「連絡通路」の整備に加えて駅ビルの建設計画も浮上している。
◆神宮球場・秩父宮ラグビー場建替え
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陸軍の青山練兵場だった土地に1926年に完成した明治神宮外苑。神宮球場や秩父宮ラグビー場、国立競技場などが建設され、東京を代表するスポーツエリアとして親しまれてきた。
神宮球場は1926年、秩父宮ラグビー場は1947年の竣工と年季が入っており、施設の老朽化が度々指摘されていた。ラグビー場の南側に隣接する伊藤忠商事本社ビルのビル風や天然芝への日照の影響も受けることから、球場と現在の場所を入れ替え、球場をドームにするという構想が出ている。
◆第二六本木ヒルズ
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”大人の盛り場”として人気を集め、近年では日本の代表的なビジネス拠点である六本木。江戸時代に武家屋敷の町として開発され、明治以降、兵隊の暮らす街として発展した歴史を持つ。
戦後多くの軍事施設が米軍施設となり、テレビ局も開局したことから芸能人も集まる高級繁華街となった。「六本木ヒルズ」、「東京ミッドタウン」などの大規模開発が相次いで行われ、現在の姿に変貌を遂げていった。
「虎ノ門ヒルズ」が昨年6月にオープンしたが、今後10年の間に森ビルは更なる大型再開発を進める方針を打ち出しており、「第二 六本木ヒルズ」と称される大規模な再開発計画が進行中。
◆八重洲周辺
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多くのビジネスマンが行き交う東京駅前の八重洲周辺は、駅を挟んで反対側の丸の内周辺と異なり、老朽化した中低層の建物が多く立ち並ぶ。戦後すぐに開発が始まったことがその理由だ。64年の東京オリンピック前後にはビルラッシュが続き、その5年後には八重洲地下街が完成し、大きな新しいショッピング街となった。
現在、計画されているのは八重洲一丁目と二丁目の3つの街区の開発だ。隣接する京橋二丁目では地上32階建ての超高層ビルが建設中で来年10月に完成する予定。
一帯を国際的なビジネス・観光の地に再生させるべく、今後、八重洲の街は少しずつ高度利用が進行していきそうだ。
◆ニュー新橋ビル
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鉄道の国内発祥の地を記念する「SL広場」や、サラリーマン御用達の「ニュー新橋ビル」などがある一帯も再開発エリアのひとつ。
対象となっているのは新橋駅西側の2街区で、木造建築の不燃化などを災害に強い街を実現しようというもの。
ニュー新橋ビルは戦後の闇市があったエリアに建設され、71年に開業。地下1階から4階までが商店街となっており、飲食店やマッサージ店、雀荘など昭和の雰囲気を色濃く残す多種多様な店が入っている。5~9階はオフィス、10、11階は住居となっている。旧耐震基準には適合しているが、81年に改正された新基準は満たしておらず、建て替えが検討されてきた。
着工は東京五輪・パラリンピックが開催される平成32年以降を予定している。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
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