一流レストランでチップ廃止――加速するアメリカ社会の“日本化”

チップ制度に見る欧米の一流レストランのクオリティ

<文/佐藤芳直>  筆者は昨年12月と今年の2月にニューヨークを訪れたのだが、そこでアメリカ社会の大きな変化を体験した。それは、アメリカの一流レストランで、「チップ廃止」の動きが出てきたことだ。  店のグレードにもよるが、欧米の一流レストランで食事をした場合、食事に約20%のチップ、ワインには約15%のチップを合算して支払う。この約2割のチップは、そこで働く人たちにとって大きな収入源になっている。  また、このチップ制度は店のクオリティの向上にも大きく寄与してきた。店のグレードが上がり、客単価が上がると、店のクオリティも向上するのは、チップの額が多くなるからである。例えば客単価が40ドルだとするとチップは2割で8ドルだが、客単価が90ドルに上がるとチップは18ドルになる。  高いチップのお店は従業員の定着率が高くなり、勤続年数も伸びる。どんな品質も、長く勤めることによって作られた品質には勝てない。長い年月で鍛えられた技術には、いくらお金を積んでも勝てない。特に料理の質というものは、一つの料理を長く追求する人たちの集団を構成できないと、向上していかない。だから、客単価が上がっていくことにより、高いチップをもらえるお店は、従業員の勤続年数が伸び、よりクオリティが上がっていくのである。

超一流レストランで「チップはいりません」

 ニューヨークでは、超一流レストランEleven Madison Park(イレブン・マディソン・パーク)で食事をした。ここは、ニューヨークにある数多くのレストランの中で最も有名なレストランで、ミシュランで三ツ星を獲得している。まさに、驚きと感激と感動を提供してくれるレストランである。

Eleven Madison Park Restaurant のホームページ

 食事を終え、十分満足した私は、会計の時にチップを記入しようとした。通常は合計金額の記入欄があり、その下にギャランティやチップを書く欄がある。だが、今回は支払書にその欄が見当たらず、代わりに次のような文言が書かれていた。  「私たちは、チップは期待もしていませんし、受け取ることはありません」  びっくりして、ギャルソンを呼んで、確認した。「チップはいらないと書いてあるが?」  すると彼は言った。”No tip.”  アメリカのレストランで、「チップはいらない」などということがあるはずないと思い込んでいた私は、ひどく狼狽えた。  いいサービスを提供するのも、いい笑顔を出すのも、いいチップに反映する。だが、チップを払わなくてよくなったからといって、サービスが20%分悪くなったということは全くなく、相変わらず素晴らしいサービスだった。

世界のベスト・レストランもチップ不要に

 翌日は、ニューヨークのグランドセントラル駅構内にあるレストランAgern(アガーン)で食事をした。  世界各国の批評家ら900人以上が過去1年半以内に訪れた店を対象に投票で決める、英誌レストラン・マガジン主催の「世界のベスト・レストラン50」で、何度も1位を獲得しているデンマーク・コペンハーゲンのレストランnoma(ノーマ)が、ニューヨークに初めて出店したレストランである。  サービスも素早く、そして、居心地もいいレストランだった。アガーンもチップを廃止していた。そのレストランの伝票には、次のような言葉が書かれていた。  「私たちの親切も、私たちのサービスもすべて価格に含まれています。チップは不要です。辞退します」  もちろんチップを受け取らない風潮が出てきていることは知っていた。2012年にカリフォルニアのナパで泊まったホテルでは、鞄を運んできてくれたホテルマンにチップを渡そうとしたところ、「これは私の当然の仕事ですから」と受け取られなかったことがあった。アメリカ社会にもそういう文化が出始めたと、その時に思ったことを思い出した。  笑顔も、親しく声をかけることも、お客様の要望に耳を澄まそうとすることも、チップのためではない。見返りのためではない。今までチップ前提だったアメリカで、チップはいらないという文化が出てきた。

おもてなしの精神がアメリカを「日本化」する

 人間にはたった一つ、共通の幸せがある。それは、「誰かのための自分」という、その実感と自覚である。人間の命はもちろんその個に属する。人間は生きていく中で常に自分が中心だ。しかし、人間は不思議なもので、自分のことで誰かが喜んでくれるのを見ることにとても大事な価値があると思っている。  人間の一番の喜びは、自分のことで誰かが喜んでくれるのを体感することである。子供の喜びは、母や父が、自分のことでどれだけ喜んでくれているかを知ることだ。誰かの喜びをつくった経験が、その人間に成長をもたらす。誰かに喜んでもらえる自分を発見すること、これが一番の喜びになる。  日本人の唱えるおもてなしは、「見返りを求めず」「貴賤を問わず」「プロセスを重視する」である。  見返りなど求めない。あの人は金持ちだから、この人は貧乏だからとおもてなしの質を変えない。そして何と言ってもプロセスを重視する。例えば「ごちそう(御馳走)」とは、自分で走り回って美味しいものを集めてくるということだ。これは私の故郷の山で採ってきたものです、たいしたものはありませんが味わってください、これがプロセスである。  味わうのは、山で採ってきた山菜や川で釣ってきたヤマメではない。それを集めてきてくれた相手の「心」を味わうのである。日本人というのはそのようにおもてなしを捉えてきた。

世界は日本化する

 私は、「世界は日本化する」ということを25年以上前から発信してきた。そのような大きな歴史的流れを、世界のビジネス現場で見てきて強く感じてきたからだ。  なぜ、「世界は日本化する」かというと、こういうことである。世界はどの国も、先進国になれば量から質を追求するようになる。質的なモノづくりに特化している国は、断トツで日本が先頭を走っている。質的な生活を追求するようになると、どうしたって日本と巡り合う。また、どこの国の民族も豊かさを目指す。豊かになれば人間は、量より質を求めるようになる。どの民族も、質を追求していくと日本にぶつかる。だから「世界は日本化する」のである。  ただし、私が言っているのは、現在の世界的な「クール・ジャパン」ブームのことではない。以前より、“メイド・イン・ジャパン”の工業製品は一種のブランドとして、世界に広く知られてきたが、近年は、寿司、ラーメン、日本酒、日本茶などの食文化、漫画・アニメ、コスプレなどのポップカルチャーなども世界から注目されるようになった。だが、私が言いたいのは、そのような表層的な現象の奥に流れるもののことである。  「おもてなし」は、アメリカのチップ文化と対比する日本文化であった。だが、アメリカの一部の層に、日本人と同じ精神性を持つ人たちが現れてきたことに大きく驚いた今回のニューヨーク訪問であった。 【佐藤芳直(さとう・よしなお)】 S・Yワークス代表取締役。1958年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、船井総合研究所に入社。以降、コンサルティングの第一線で活躍し、多くの一流企業を生み出した。2006年同社常務取締役を退任、株式会社S・Yワークスを創業。最新刊は『なぜ世界は日本化するのか』(育鵬社)。
なぜ世界は"日本化"するのか

迷うことはない! 日本は「日本らしさ」を追求すればいい。混迷の時代、すべての日本人に希望と自信を与える新たな日本論!

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