葬式の打ち合わせ[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第18話)]
葬式を心配する連れ合い
検査検査に明け暮れていた4月なかば、見舞いに来た連れ合いが深刻そうな顔で聞いてきた。 「もし万一のことがあったら、お葬式はどうしたらいいの」 突然の質問だったが、ボクにしてみれば想定内の質問だった。まさかこのまま逝くとは思っていなかったが、手術中に何が起きるかわからないし、葬式のことは心配していなかったわけではない。 連れ合いとは家族ではあるが、家と家が親しく付き合っているわけではない。つい数日前、連れ合いとボクの次弟がかち合って紹介したのが家と家の接触のはじめである。連れ合いがボクの葬式を心配する気持ちはよくわかった。 「その件なんだけど、ボクはディノス(フジサンケイグループの通販会社・現ディノス・セシール)のライフクラブというところのメンバーになっているんだ。生前から葬儀の相談をする仕組みなんだ。数年前、ディノスの後輩に勧められて会員になったんだよ」 「それはディノスの誰に相談したらいいの」 「ディノスに山中君という後輩がいるんだ。よし、ちょうどいい機会だ。山中君に電話するから聞いていてよ」 ボクは早速ディノスのフラワー事業部にいる山中三樹君の携帯に電話した。山中君は九州から出張帰りとかで羽田空港にいた。熊本地震直後のことで、無事帰京できてほっとしているようだった。葬式の概要を指示
山中君に狭心症で入院していること、これからバイパス手術を受けることなどをかいつまんで説明した。そしていま、連れ合いから万一の時の葬式について聞かれているところだと言った。 山中君はもちろんびっくりしたようだが、この際彼の知恵も借りて万一のときの方向性だけでも出しておいた方がいいし、連れ合いもそれを聞いていれば安心もするだろう。「立つ鳥後を濁さず」だ。 山中君には、葬式はこじんまりと地味に家族だけでやってほしいこと、ボクはクリスチャンだが、家は浄土真宗なので、できるだけ宗教色は薄めたいこと、大仰な写真など飾らないことなど一方的に話した。 ただ内田百閒のように「写真など飾ったら化けて出てやる」とまでは言わなかった。 ボクは先の妻を亡くした時、文京区のお寺で葬式を出した。たまたまテレビ局の新規事業でフラワーネットワーク事業を起こした張本人だったので、その関係のスタッフや生花店の皆さんが手伝ってくれて、キチンと送ることができた。 ボクも喪主としての経験があったし、妻がガンという長患いだったのでそれとなく、心の準備もできていた。 しかし、連れ合いの立場は全く違う。ボクとしては連れ合いを安心させなくてはならない。それがこの電話の第一の目的だ。 山中君も状況を把握したらしく、あまり細かいことは聞かなかった。10分くらい話しただろうか。適当なところで電話を切って、連れ合いに言った。 「とにかくボクに万一のことがあったら、山中君に電話するんだ。彼の後ろにはその道の専門家がいる。段取りなんか全部彼に任せれば大丈夫だ。君はそれを見ていればいいんだ。弟たちにも言っておくよ」 ボクは退院後、山中君とライフクラブ入りを誘ってくれた杉本元生君に会い、念を押した。二人に頼んでおけば大丈夫だ。「富士山の見える海で散骨してあげる」
孔子を引き合いに出すまでもなく、葬礼は体裁より死者を悼む心の方が大切だと思う。段取りなんかいい加減でいいとは言わないが、さりとて段取りだけではない。あわてふためいたときには不体裁があってもしかたない。 ただ、ボクには連れ合いに頼んでおきたいことがあった。骨のことである。 「納骨は分骨にしてもらいたいんだ。一部は横須賀にあるボクの家の墓に、一部は駒込にある京子(亡妻)の墓に入れてよ」。亡妻の墓というのは、生前本人の希望で彼女の祖母や父が眠る駒込のお寺に買ったお墓である。 連れ合いは「分かったわ」といいながら、「さらに一部はまささんの好きな富士山の見える海に散骨してあげるよ」と付け加えた。 連れ合いの安堵した顔を見て、ボクのささやかなリビングウイルは伝わったと思った。 終活論が花盛りだが終活論は「葬儀と墓をどうするか」というところから始まったのである。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。ハッシュタグ
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