有楽町駅で倒れる[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第36話)]

有楽町駅

「地下鉄有楽町駅 柱にもたれかかって尻からドスン」

買い物中に倒れる


 5月14日、37日間の入院生活を終えて東雲のマンションに戻った。退院が叶ったのである。

 娑婆に戻れた開放感と久しぶりに親子3人が揃い、「家族はいい」との思いを深くした。そして早く普通の生活に戻りたい気持ちに駆られた。

 翌15日、700メートルほど離れたイオン東雲店に食材の買い物に出かけた。

 この店はダダっ広くてお目当ての商品を探すのに苦労するが、品ぞろえは豊富である。それまでも食材買いはボクの担当で、およそのありかは頭に入っている。

「重いものを持ってはいけません」と言われているので、野菜や魚などを少々買い揃えて清算のレジに並んだとき、吐き気のような気分の悪さを感じ、立っていられず、レジのテーブルに倒れこんだ。

 顔は真っ青だったらしい。レジの女性がソファのある所に連れて行ってくれ、そこで横になった。

 警備員も来て「救急車を呼びましょうか」と言われたが、断った。入院中、自転車こぎで気持ち悪くなった時のことを覚えていて、横臥すればもとに戻るはずと思っていたからである。

 すでに血流のメカニズムも頭に入っていた。心臓から送り出された血は30秒ほどで心臓に戻るが、ふくらはぎが弱っている場合は、立ち姿でいると、重力の関係で脚の血が心臓になかなか戻れない。

 横になると脚も心臓も平らになるので、重力の作用もなくなり、すんなり心臓に還流する。この時も同じ状況で10分くらい横臥していたら楽になった。

 帰りが遅いので心配した連れ合いからメールが来た。休み休み帰るから心配しないでと返信したが、前途多難ぶりに気がめいった。

有楽町駅でも倒れる


 それから10日経って、退院後初めて心臓外科外来を訪ねることになった。有楽町線辰巳駅までゆるゆると歩き、9時ころの電車に乗った。

 ラッシュアワーは峠を越えていたが、そこそこに混んでいた。つり革も満杯で壁にもたれて有楽町駅まで来て、乗り換えるべく降りた。

 そのとたん急に意識が飛んだような感に襲われた。とっさの判断でホームの柱にもたれかかったがそのまま尻からズドンとへたり込んだ。

 若い駅員が飛んできた。ついで車いすを押して別の駅員が来た。それぞれの駅員が「頭を打ちましたか」と聞く。「頭は打たなかったけど、お尻を打って痛い」と答えた。

 この時も顔色はさえなかったようで、周りには見物人の輪もできて恥ずかしかった。そのまま車いすに乗せられ駅務室に運ばれ、長椅子に横になった。

 ここでも10分くらい臥せていて、そのまま乗り換えて病院に向かうことにした。恰好つけて、「ボクのせいで電車は遅れませんでしたか」と駅員に質したが、「それはありません」ということで一安心した。

リハビリなくして回復なし


 この二つの出来事でボクはリハビリということをよほど真剣に考えなければならないと思った。

 退院後も通院リハビリは予定されていたが、1か月に1回くらいの頻度だ。問題は毎日の運動の質と量にある。

 専門医の書いた「心臓リハビリ」とか、リハビリ闘病記などの本を買った。参考になったが、「どうかな」と思うものもあった。

『完全職場復帰―心筋梗塞リハビリ戦記』(渡邊紘一著)では「身体や心筋(心臓)に痛みがあれば回避するのではなく、痛みがなくなるまでその箇所を動かし、その筋肉と心筋を鍛える」とあり、「家庭の医学書が危険と警告していることをあえて全部実行しよう」と強調していた。

 ボクにはそんな勇気はないが、退院直後ボクに起きた二つの不測の事態は、オリジナルなリハビリ方法を考え出さないと、元の生活に戻るのは容易ではないということを教えてくれた。

しかし、マイリハビリを考えることも楽しい闘病の一つであった。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。




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