魚を食べれば救われる[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第45話)]
「青身の魚」信奉者だが……
心疾患を再発させないように、血液をサラサラにする薬を二種類ほど処方されているが、食事にも十分注意をするように言われている。 そのポイントは、副食には「肉より魚」「魚でもできるだけ青身の魚」という点にある。青身の魚といえばイワシ、アジ、サバなどであろう。 血液凝固を防ぐドコサヘキサエン酸が多量に含まれているということを何回も聞かされた。そういうわけでボクは青身の魚の信奉者である。 幸いボクは魚には目がない。連れ合いもすこぶる付きの魚好きである。ただ、青身の魚だけではすぐ飽きる。そんなわけで二人で多種多様な魚を食べている。 ボクは平日は東京に居て勤めに出ているが、土日は三浦半島西海岸の芦名というところに出かけることが多い。 そこは僕が若いころ新居を構えたところであり、今でも弟妹が住んでいる。近くには実家がある。魚好きになったのもその地に住んだせいである。まさしく海の幸
目の前に相模湾が広がっている。伊豆半島越しには富士山が遠望できる。そして海上を漁船やレジャー用の舟艇が行き交っている。 相模湾というところは魚種の多さでは日本有数である。一つには、南からの黒潮と北からの親潮がこの辺で交じり合う。南の魚相と北の魚相が併存する。 さらには海が深い。日本海溝からつながる相模トラフが陸に向かって延びている。トラフとは海底の凹地のことである。 何しろ富山湾、駿河湾と並ぶ日本三大深海である。だから深海に棲んでいる魚もよく獲れる。 もっともこれは相模湾の西半分で、東半分は水深200メートル程度の大陸棚である。大陸棚には光がよくとどき、プランクトンが多く、これまた様々な魚が蝟集する。 そんなわけだから、相模湾は魚種が豊かなのである。ものの本によると、食用になる魚介類が230ほど生息しているとのことだ。 松輪のサバ、長井のイワシ、佐島の鯛・タコはブランド化している。三崎もマグロで有名だ。 ボクは芦名の隣の佐島漁港で魚を買うことを楽しみにしている。東京のスーパーではお目にかかれない魚が常時買えるし、そのほとんどはその日の朝獲れたものだ。もちろん水槽の中では元気よく泳ぎながら買い手を待っている魚もいる。 佐島の漁港には3軒の魚屋があるが、客には料理屋など目利きと調理の専門家が多い。しかし、一般客も少なくない。僕は能書きばかりで調理はからっきし出来ないから、調理までしてくれる丸吉商店という店で買うことが多い。 メバル、カサゴ、カワハギ、キンメダイ、アマダイ、ホウボウ、ヒラメにアジ、サバ、イワシ、スミイカ、アオリイカ、時にヘダイ、スマカツオなどその都度買う魚は異なるし、さばき方を見ているのもまた楽しい。 先日買った魚に「ウッカリカサゴ」らしいものがあった。体長30cm強で一見大ぶりなカサゴである。 あとで調べてわかったのだが、厳密にいうとカサゴとは違うらしい。この妙な名前が付いたのはその道のプロがうっかり、カサゴと見間違ったためだという。 この珍名さんを丸太切りのようにさばいてもらい、カサゴと同じく煮て食べたが、カサゴに比べても味に遜色はなかった。間食も煮干し
そんなボクだけど、仕事場で口にする間食には「食べる煮干し」を袋を抱えてつまんでいる。煮干しの原料カタクチイワシは青身の魚だから、当然、血液をサラサラにしてくれるはずということを信じている。 ただ、袋の最後のほうになると、千切れた頭だけ残ってしまう。口にざらつくがそれでも大切に食べている。 何しろイワシの頭も信心からである。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。ハッシュタグ
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