「愛国のリアリズム」という思考法④――福沢諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」

加藤寛氏の「SFC生よ、『公』を担う人間になれ!」(「KEIO SFC REVIEW」 2008年3月24日発行号より一部を転載)

米国プリンストン大学の留学で学識の基盤が固まる

 高橋洋一氏といえば、読者には「天下無双」あるいは「唯我独尊」の強者(つわもの)のイメージがあるかもしれない。確かに、数学の学者を目指していたがゆえに、編集者などが論理的思考から外れたり、勉強不足でピント外れの質問でもしようものなら不機嫌になり、「文科系出身者か?」と問いただされたりすることもある。  自ら官僚でありながら霞が関の全官僚と闘ってきた経験があるために、知的武装が弱い編集者を見ると、「それでは官僚に言い負かされてしまうぞ」との叱咤激励の意味もあるようだ。  しかし、素顔の高橋氏はお茶目なところもあり、その点は外務省きっての論客といわれた岡崎久彦大使(1930~2014)と相通じるところがある。その人となりについては、本ニュースサイトの【異能・異端の元財務官僚が日本を救う】を参照いただきたい。  さて、博覧強記の高橋氏だが、もともとの素質の上にその学識の基盤を確固たるものとしたのは、1998(平成10)年から3年間の米国のプリンストン大学に客員研究員として派遣された40代半ばの時のようだ。経済学は、ベン・バーナンキ教授(後の米連邦準備制度理事会[FRB]議長)やポール・クルーグマン教授(後にノーベル経済学賞受賞)といった「リフレ派」の巨頭から学び、国際関係論はマイケル・ドイル教授(現、米国のコロンビア大学)から学ぶ。  高橋氏自身、ツイッタ―で「今言っていることは、今から20年前のその3年間で学んだことばかり。大学を出て20年少し前にリシャッフルしたのはとてもよかった」(3:46 – 2018年8月19日)と述べている。  期せずして、プリンストン大学の留学から帰国した際に小泉内閣が発足し、前述の通り知己であった竹中平蔵氏から民営化を含む行財政改革を頼まれたのは、まさに天の配剤としか言いようがない。

加藤寛氏との交流と民営化の原点

 また、その際に加藤寛氏(1926~2013、慶応大学名誉教授)との交流も興味深い。加藤氏は、「ミスター行財政改革」であり、教え子であった小泉首相の郵政民営化の執念は、加藤氏に負うところが大きい。  

福沢諭吉(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

 加藤寛氏の行財政改革の思想的基盤は、慶応義塾の創設者である福沢諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」である。これを加藤氏は、「国を背負うのは公=政府ではなく、私という個人である」と解釈している。  高橋洋一氏は『愛国のリアリズムが日本を救う』で、この加藤氏との交流のエピソードを綴りながら、加藤氏が「KEIO SFC REVIEW」(慶応義塾大学湘南藤沢学会〈通称「SFC」〉発行の季刊誌)に掲載された「SFC生よ、『公』を担う人間になれ!」(2008年3月24日発行号掲載)という寄稿文を紹介しながら(冒頭の画像参照)、次のように記述する。 (加藤寛氏は)「官僚が権力を持っているから天下りが横行」、「彼ら(官僚)が公を担うべき存在なのに、自分たちの特殊利権のために動いている」として現状の官僚たちを嘆き、「そのような人たちから公の利益を守らなければならない」と檄を飛ばしている。  この寄稿文から読み取れるのは、「個人が公を頼りにする精神では国益は守れない」という強いメッセージだ。筆者が加藤先生に直接教えてもらった「国じゃなくても民間でもできることはたくさんありますよ」という民営化への思いの原点に触れたような気がするのである。 (前掲書、55ページ)  私たちは、官僚の天下りや既得権益を批判するが、それをもたらしているのが民間にいる私たち自身であると自省し、今一度、行財政改革の原点に戻り、規制改革、規制緩和を進めて行く必要がある。なぜなら、高橋洋一氏が言うように、これが日本経済の長期的な発展に不可欠だからである。【5に続く】 文責=育鵬社編集部M
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