「愛国のリアリズム」という思考法⑤――左派リベラルと頑迷固陋な保守は、守旧派に陥っている
「外資ガー」と反応する人々の思考パターン
郵政民営化の時に、保守派を称する人たちから、民営化すると郵貯や簡保の資金が外資に乗っ取られるという議論があった。今流の言葉でいえば「外資ガー」である。 この「○○ガー」とは、○○に罪をなすり付ける、あるいは責任転嫁する意味合いのネットスラングで、民主党の鳩山由紀夫氏が首相時代の国会答弁や記者会見で「前政権の自民党『が』……」「国民『が』徐々に聞く耳を持たなくなってしまった」などと、「が」を連発したことに由来するという。 しかし高橋洋一氏は、外資ガーに対する「備え」を具体的に行っていた。最新刊の著書『愛国のリアリズムが日本を救う』から、少し長くなるが引用しよう。 郵政民営化とは、簡単に言ってしまえば郵便事業と、貯金や保険を扱う金融事業を民営化して分けようというものである。郵便事業の場合、(憲法で規定された通信の秘密があるので)最後の最後には国が関与する。他の国でも同じように国による管理を多少残しておくことが通常であり、それに合わせて法律は作られている。したがって郵政事業会社と金融事業会社の国の出資比率は違っている。 このような……民営化の話をすると、保守派の人に必ず言われたのが「グローバリズムはけしからん」ということだ。竹中大臣とともに「ハゲタカの手先だ」と言われるのは嫌だった。そうであるならば外資が入らないように国営で継続した方がいいと言われる。しかし民営化の本質はそこにはない。したがってグローバルにもオープンでありながら、国益を保てる方法を筆者は選ぶ。実際に郵政の株をすべて外資に売り渡すつもりなど筆者にもない。 これは何も特別なことではない。世界の標準的な考え方で3つの規制を入れている。 この3つの規制を全部クリアできるのは、確率が低いと思っている。まず株を5%買った時点で株主が公開されるようにした。これは警戒警報の役割で、5%だったらまだ大丈夫。次に20%買った時点でもうワンランク高い規制を入れ、そして最後に50%買った時点でほとんど拒否できる状況を作っている。この3つをクリアしなければ郵政の支配権は持てない。 もし外資が5%を超えたら筆者自身が騒ごうと思っていたが、今のところはない。 このように国際基準に合わせながら実質的に外資を排除することが知恵の見せ所で、ハゲタカに対抗する最強の方法なのだ。(前掲書、59~60ページ)「川を上れ、海を渡れ」
高橋氏が、こうした「愛国のリアリズム」の思考法を持つに至ったのは、大蔵省(財務省)時代に上司から教わった「川を上(のぼ)れ、海を渡れ」という考え方だという。これは、一般のビジネスマンにも役立つ考え方だ。前掲書から引用する。 科学的な根拠もないのに思い込みやイデオロギーで(政策を)決定するのはやめた方がいいに決まっている。 筆者が役人時代に上司から教わったことは「川を上れ、海を渡れ」という考え方だ。「川を上れ」は「過去の経緯や事例を調べよ」ということ、「海を渡れ」は「海外の事例を調べよ」ということである。政策作りで必要なものは、冷徹な視点で事実関係と世界基準を把握し、日本の現況に合わせてアレンジすることである。事実に基づく客観的なデータと視点、分析こそ有効な政策を導く手段であることは世界的に見ても間違いはない。 だから、筆者は必ず国内や海外の過去データを調べて、政策の効果を測り、ある程度確証を得てから提案してきた。こういう過程を経ずに物事を決めていくというのは、非常に危険である。(前掲書、168ページ)単なる守旧派の人々
民営化や規制緩和の話になると、いまだに何の根拠もなく、「外資ガー」とか「(自由競争で)質の低下ガー」と叫ぶ自称、保守派の人がいる。また、左派リベラルの人は、思い込みやイデオロギーが強すぎて、客観的事実があるのにそれを認めず、旧来の主張を繰り返す。 これらの人は、保守でも革新でもなく単なる守旧派でしかない。守旧派は、世の中の変革が嫌いで現状維持が好きで、さらに社会主義的な規制が好きなのである。獣医学部の新設の「申請」さえ認めない「岩盤規制」を作った人の中には、保守を自称する人も多かった。 憲法第22条には「職業選択の自由」が明記されており、この規定からすれば獣医学部の新設の「申請」そのものを認めないのは憲法違反である。憲法の趣旨に則れば、その「申請」は認め、「新設」を認可するかしないかは、文部科学省に設置されている「大学設置・学校法人審議会」が公正な基準に則り審査し、その答申に基づき文科大臣が認可の可否を判断するのが本来の筋である。 今回の加計学園の獣医学部の新設の「申請」は、実に計15回に及んでおり、その都度、岩盤規制に跳ね除けられてきた。これは余りにおかしいと2010(平成22)3月には「民主党政権」下で「速やかに検討」に格上げされたものの行政の壁は厚く、第2次安倍晋三政権発足(2014年12月)以降も含め門前払いされ続けた。そして、国家戦略特区制度で実に52年ぶりに「申請」が認められ、上述の大学設置審で公正な審査を受け新設が認可されたのである。 この経緯は、『愛国のリアリズムが日本を救う』の第1章で詳細に記述されている。マスコミや野党が追及すべきは、「職業選択の自由」で保障されている「申請」の機会さえ与えないという憲法違反の岩盤規制であるはずだ。それを「安倍憎し、安倍降ろし」で、1年半にもわたり真逆の方向にパンチを繰り出していたのは、実に情けないことだ。 前掲書で高橋氏はこう言う。 「(今回の加計学園問題の本質は)大学の設置申請すら、させないという文科省告示が問題なのだ。……しかも、認可申請をさせないという文科省告示は依然として有効であり、それを使って、都心の大学設置も規制するという。驚きを通り越してしまう」(51~52ページ)出でよ、愛国のリアリズムを持った「開明派」
物事がスムーズに進行するように、横断歩道や信号機のような「交通規制」は良いとしても、獣医学部に見られる先行者の既得権益を守るだけの規制は、まったくのナンセンスである。 また、すでに獣医学部を設置している大学や、その学部を卒業して獣医師になっている人たちは、新たに獣医学部が設置され獣医師が増えてくると、「自分の取り分が減る」ために、自民党の石破茂氏といった有力議員に政治献金を行い、獣医学部の新設の申請さえさせないように暗躍し、規制を維持させる。 西日本の畜産・酪農現場では獣医師が不足しており、鳥インフルエンザや口蹄疫(こうていえき)といった家畜の伝染病への対応や予防が後手に回りやすいと聞く。一昔前なら、いや二昔前ころなら、まだ「公の心」をもった人がいて、獣医師が不足しているなら獣医師を増やそうとなり、さらにこのようなつまらない規制は、そもそも作られなかったのではないか。 それが戦後の風潮の中で公の心が徐々にすたれて行き、既得権益の維持とお金がすべての世の中になってしまった。 今回、高橋氏が本書を執筆した動機は、以下の通りである。 「愛国」は本来、共同体に対する責任感を示す言葉だが、戦前の反動からなのか拒絶反応を起こす人たちがいて、その後遺症ゆえに「何のために」という大目的を見失い、利己主義とご都合主義がはびこっている。 愛国に右も左もないと高橋氏は言う。確かに、保守も革新もご都合主義の守旧派に成り下がっている。愛国のリアリズムを持った「開明派」が、いつの時代でもそうであるが、いま切実に求められているのではないか。(了)文責=育鵬社編集部M
『愛国のリアリズムが日本を救う』 愛国に右も左もない。あるのは、日本に対する責任感だ! 左派リベラルの観念論を論破し、国益と政策的合理性の追求を解き明かした渾身の書 |
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