朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第2講:元寇、日本侵略の意図とその証拠」

2『蒙古襲来絵詞』より

『蒙古襲来絵詞』

北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。

朝鮮は被害者か

 元寇に関し、朝鮮人もモンゴル帝国の被害者であるとする見解があります。 「蒙古襲来」とも言われるように、モンゴル人が大挙して押し寄せて来て、それに朝鮮人たちが仕方なく付き合わされたという捉え方が日本人の中にもあると思います。しかし、実態はそうではなく、朝鮮人も日本侵略の片棒を担いでいたのです。  当時の朝鮮は高麗でした。高麗王の子の諶(しん、後の忠烈王)は1272年、自ら進んで、フビライ・ハンに日本を攻めるべきであることを以下のように、上奏しています。 惟彼日本 未蒙聖化 故発詔 使継糴軍容 戦艦兵糧 方在所須。儻以此事委臣 勉尽心力 小助王師。  惟(おも)んみるに彼の日本は、未だ(皇帝フビライの)聖なる感化を蒙(こうむ)らず。故に詔(みことのり)を発して、軍容を整え、継糴(けいてき、糧食を整えること)せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須(みち)いる所あらん。もし此事(このこと)を以て、(皇帝が)臣(忠烈王のこと)に委(ゆだ)ねば、心力を尽し勉(つと)め、王師(皇帝のこと)を小助せん。        —『高麗史』の「元宗十三年」の一部

忠烈王の上奏文

 王子はこの上奏の2年後の1274年、父王の死により、王(第25代王、忠烈王)に即位します。そして、忠烈王は文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)において、艦船を建造し、兵力と経費を積極的に元王朝に提供し、日本侵攻の主導的な役割を果たします。  忠烈王の上奏文は高麗に日本侵略の意図があったことの何よりの証拠です。元を焚き付けた上での侵略ですから、「虎の威を借る狐」の如きものですが、狐であろうと何であろうと実際に、朝鮮兵はモンゴル兵とともに、日本に襲来し、乱暴狼藉を働いたわけですから、立派な侵略であることに違いありません。 宇山卓栄(うやま たくえい) 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。
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