世界文化遺産から読み解く世界史【第56回:石の文化と木の文化(その2)】
遺跡という廃墟
実をいうと、ヨーロッパあるいは他の国においても本来は木が基本だということがわかってきたのです。端的にいえばヨーロッパの建築はすべて柱をつくります。しかし本来、柱というものは石でつくる文化では必要ないはずです。石の壁をつくればいいわけです。ところが、つけ柱にしても必ず柱をつくります。これは木で宮殿をつくってきたことの名残なのです。柱をつくるということは、本来は木でつくりたいという意思の表れです。木こそが本来の住宅のあり方であり、人々が住む所は、宮殿にしても教会にしても本来は木でつくるということが彼らの望むところだったのです。 これはパルテノンの神殿を見ればわかりますが、上の破風などは木でつくった破風をそのまま石で踏襲しています。ゴシック建築というのも、高い樹林の森を模倣するかのごとき建築になるのです。このように木というものは、彼らにとっても重要なモチーフだったということがわかります。これは私が日本人だから強弁しているわけではなくて、事実です。 しかし、私たちは戦後、石でつくることが素晴らしい堅牢な文化で、木でつくることは貧弱な文化というふうな観念を持ってしまいました。西洋風な壁のある建築をつくり続けました。ようやくこの20年くらいで日本人の意識が変わり、現代の日本の文化を重要視し始めましたが、それが本来の文化であり、創造物の基本であるということを私たちはもう一度見直さなければいけません。木で補修することそのものが木の文化の継続性を保証しているわけですから、木の文化とは自然と人間の調和を考える上で非常に重要なものなのです。 例えば、四大文明の一つに数えられるインダス文明のモヘンジョ・ダーロ(パキスタン)にしても、メソポタミア文明のチョーガ・ザンビル(イラン)にしても石の文化ですが、滅んでしまっています。堅牢につくられているかのようですが、おそらく周りに木がなく、同時に水がないということもあって滅びたのでしょう。いまは遺跡だけしか残っていません。 これらを見ると、木とか自然が周りにないと文明が消失し、破壊されるということがよくわかります。エジプト文明もそうですが、インダス文明、メソポタミア文明、そして黄河文明にせよ、すべてがいまでは遺跡でしかありません。これはやはり自然というもの、木というものを重視しなかったためでしょう。それらを乱伐することによって消滅していくという、そういう文化だったといえるわけです。 ですから、世界の文明の発生の中で唯一、日本の木の文明が残されていくという皮肉な現象が出てきているわけです。この石と木の文化の違いというものも非常に重要な分岐点であると私たちはしっかり見据えなくてはいけないと思います。 さらにいえば、木の文化は信頼性の文化です。人々は生きる上で、他の家に火をつけてはならない、不測の事態以外、火事は発生させない、というお互いの信頼関係の中で、木の建物がつくられ続けたのです。このことは人間社会にとってたいへん好ましいことで、日本はそうした国であったのです。 (出典=田中英道・著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)などがある。ハッシュタグ
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