『大きな努力で小さな成果を』について(3)
ありがたい思い出
自転車一台、その荷台に窓ガラスの曇り止めやワックスなどのカー用品を積んで売り歩く行商から自身の事業をスタートした鍵山氏には、忘れえぬ思い出があるという。 この部分は、編集者である前に、第一の読者として、著者の体験を疑似体験し、熱い思いに包まれた箇所なので、『大きな努力で小さな成果を』の中から、著者の文章をそのまま紹介したい。 「昭和37年、創業した翌年の2月。当時は東京もよく雪やみぞれが降りました。みぞれの降る寒い日に、いつものように合羽を着て自転車に荷物を積めるだけ積んで歩いていました。扉を開けて中をうかがって、入れてくれそうなら表で合羽を脱ぎます。合羽を脱いで入ろうとして『帰れ』と言われるとよけいみじめになるので、まず入れてくれるかどうか様子を見て、入れてくれそうなら、表に合羽を脱いで畳んで置いて入るというようにしていたのです。 一軒の小さなお店に入ろうと表に自転車を置いて、扉を開けて中の様子をうかがうようにしたときに、中から手が出てきて、私の袖をつかんで明るい声で『ああ、寒いでしょう。中へお入んなさい』と言って、私をお店に引っ張り込むと、その方は後ろから私の肩を抱いて寄り添って、お店の奥にあるガスの真っ赤に燃えている暖かいストーブの前まで連れていき、『手が冷たいでしょう。お当たんなさい』と言ってくださいました。 そのうえ、『ちょうどいいところに来た。今、お団子を買ってきたところだから、一つ食べなさい』とテーブルの上にあったお団子を一串くださった。私は『ありがとうございます』と言おうと思っても、声がかすれて、ただもう頭を下げるだけでした。そのとき、私は『ありがたいなあ』『ああ、自分も一生を通して、こういう人間になろう』と思いました。『苦しんでいる人、冷たい思いをしている人に温かい声をかけて、その心を癒せるような人間になろう』と。 一方、私に冷たい仕打ちをした人からも学びました。『私は人に絶対こういうことはしないで一生を通そう。こういうことをしてはいけない』と教えられました。そして温かいもてなしをしてくださった方は、『こういうふうにしなさいよ』と教えてくださったわけですから、私は双方から学ぶことができたのです。 その温かい人は、今は亡きあの大歌手の藤山一郎さんでした。藤山一郎さんの奥様が小さなガソリンスタンドを経営されていたので、たまたまその寒い日に来ておられたのです。私がみすぼらしい格好で立っているのを見ておられて、私を温かくもてなしてくださった。とてもありがたいことで、何十年もたった今日でも、そのことを思っただけで、私は胸がつまるような思いがします」 (次回に続く) 鍵山秀三郎(かぎやま・ひでさぶろう) 昭和8(1933)年、東京生まれ。昭和27(1952)年、疎開先の岐阜県立東濃高校卒業。昭和28(1953)年、デトロイト商会入社。昭和36(1961)年、ローヤルを創業し社長に就任。平成9(1997)年、社名をイエローハットに変更。平成10(1998)年、同社取締役相談役となり、平成20(2008)年、取締役辞任。平成22(2010)年、退職。創業以来続けている掃除に多くの人が共鳴し、その活動はNPO法人「日本を美しくする会」として全国規模となるほか、海外にも輪が広がっている。著書に『凡事徹底』『続・凡事徹底』(以上、致知出版社)、『鍵山秀三郎「一日一話」』『すぐに結果を求めない生き方』(以上、PHP研究所)などがある。ハッシュタグ
ハッシュタグ
おすすめ記事