中国と2000年戦い続けてきたベトナムだからコロナ対策で対中遮断を即決できた

<文/川島博之・ベトナム・ビングループ主席経済顧問>

中国の友好国という誤解

 日本人が考えるベトナムと現実のベトナムの姿は大きく異なっている。多くの日本人はベトナムを誤解している。ベトナムは東南アジアの中で、唯一中国文明に属している。東南アジアは中国文明とインド文明が混ざり合った地域であるが、ベトナムはインド文化の影響はほとんど受けていない。そのほぼ全域が中国文明に属していると言ってよいだろう。  ベトナムは南北に細長い国である。ハノイを中心とした北部は、その歴史の中でずっと中国文明の一員であった。ただし中部にはチャンパと呼ばれるカンボジアのアンコールワットとよく似た文明を持つ国があった。チャンパはインド文明の影響を強く受けていた。しかし、北部が15世紀頃から少しずつ中部へ侵攻して、19世紀初頭のグエン朝になって、その国土はほぼ現在のベトナムと同じような形になった。  グエン朝の創始者は南部の出身であるが、その都であるフエの王宮に行くと、グエン朝が中国文明の影響を強く受けていることがよく分かる。  ベトナム人は、自分たちは中国文明の一員であり東南アジアに属するのではないと思っているフシがある。そんなベトナム人に対しては、東南アジアの人と思って接するよりも中国人だと思って接した方がよい。  よくベトナム人は東南アジアの中では勤勉だと言われるが、その文化が中国の影響を強く受けているためと考えられる。言っては悪いが、東南アジアの〝おサボり文化〞(熱帯で暑いので、そのような文化になったのだと思うが)とは少々異なっている。ただ、それでもベトナムは熱帯から亜熱帯に位置しているので、日本などに比べればおサボリ文化ではあるが……。  もう一つ付け加えることがある。それは、ベトナムは中国文明の一員でありなら、中国が大嫌いなことである。これはベトナムの歴史を反映している。この事実は、日本ではほとんど知られていないと思う。第一の理由はベトナム人が「私は中国が大嫌いです!」と大声で言わないことにある。そして多くの日本人、とりわけ中高年にベトナム戦争の記憶が残っているためだ。  ベトナム戦争当時、ソ連と中国は北ベトナムを支援していた。ベトナム戦争は植民地からの独立戦争であるとともに、社会主義と資本主義の戦いという側面も持っていた。そのために「社会主義国である中国はベトナムの味方、資本主義国であるアメリカはベトナムの敵」、そんな図式が日本人の頭の中に刷り込まれてしまった。  ベトナムは現在でも社会主義国であるから、多くの日本人はベトナムを中国の友好国と思ってしまう。しかし、これから書くような理由でベトナムは中国が大嫌いであり、中国もベトナムを扱いにくい隣国と考えている。現在、貿易などの面で交流は盛んであるが、ベトナム人の心は常に中国に対する警戒心と嫌悪感に満ちている。そして、警戒心の方が強いために、口に出して中国が嫌いとはっきり言わない。そんなことから、日本人はベトナムが中国の仲間だと誤解している。  こんな話があった。日本の中小企業は後継者不足に悩んでいる。そんな中小企業をアジアの開発途上国に売却したらどうかという話が持ち上がった。アジアには日本の中小企業の技術を欲しい会社がたくさんある。そんな話を聞いて政府機関に相談に行った時のことである。  現職の課長と面談して、ベトナムが精密機械を作る中小企業を探していると伝えたところ、協力はするがベトナムに技術を渡すと中国に渡る可能性があり、自民党の先生方から圧力がかかる可能性があると言われた。政府機関の現職課長や国会議員にして、このような認識なのである。日本は島国であり世界情勢に疎い。

中国文明の一員

   20世紀末にアメリカの政治学者であるサミュエル・ハンチントンが書いて物議を醸した『文明の衝突』の中で、朝鮮半島とベトナム北部は中国文明に分類されている。ハンチントンは日本を中国文明に入れることなく、日本文明として独自に扱った。  これは日本人の自尊心を大いにくすぐったが、より大きな目で見れば日本はやはり中国文明の一員だと思う。中国文明の影響なしに日本を語ることはできない。日本人が作り出した文字である「ひらがなやカタカナ」も中国から伝来した漢字をアレンジしたものである。日本の思想は中国から輸入した儒教や仏教の影響を強く受けた。  朝鮮半島とベトナムも漢字を輸入している。そして日本と同様に漢字をそのまま使うのではなく、その言語に適するようにアレンジを試みた。朝鮮半島は漢字とは全く別体系のハングルを考案して漢字と混ぜて使った。  ベトナムもチューノムと呼ばれる文字を作り出した。しかし日本の「かな」のように普及することはなかった。それはベトナム語の音調が複雑であるので、漢字から表音文字を作ると複雑なものになってしまったためである。「かな」のように簡単なものにならなかった。現在、ベトナムはフランスの宣教師が約200年前に考案したローマ字表記を用いている。  このような事実を知ると、朝鮮半島とベトナム北部が中国文明圏で、日本だけが独自の文明圏を作り上げたと言い切ることは難しいだろう。ハンチントンが日本だけを独自の文明圏としたことは、割り引いて考えておいた方がよさそうである。  宗教についても日本とベトナムは中国文明圏である。中国はインドから大乗仏教を輸入した。それは1世紀頃と推定されている。中国の仏教は唐に入って大いに栄えた。日本文化に大きな影響を与えた禅も唐時代に中国が生み出したものである。現在、インドから中国を通じてもたらされた大乗仏教は朝鮮半島、ベトナム、そして日本に根付いている。宗教を考える時、朝鮮半島、ベトナム、そして日本は兄弟と言ってよい。

李朝初代皇帝の李太祖

 ベトナムは漢の時代に中国の植民地になり、漢からは節度使と呼ばれる代官が派遣され、代官が年貢を集めて漢に送っていた。そんな時代、紀元1世紀に反乱を起こした姉妹がいる。徴税に絡んで姉が漢に反旗を翻すと妹も協力した。それは周辺の部族を巻き込んで大反乱へと発展していった。漢(後漢)は大軍を派遣して乱を鎮圧した。姉妹は処刑され、その首は塩漬けにされて漢都洛陽に送られたという。ハイバーチュン(ベトナム語でチュン姉妹)の乱である。  この話を知らないベトナム人はいない。現在もハイバーチュンの話はベトナム人の琴線に触れるようで、姉妹を祀る寺院があり、また大通りや地区の名前にもなっている。  ところで、ベトナムでは一般に女性の地位が高い。古代では反乱の主役も女性だった。現在は中国文明の影響で政治の世界では女性がトップになることを嫌うが、それでも女性は強く、政府諸機関において部長や課長が女性で男性が平社員などというケースにしばしば遭遇する。トップが女性の民間会社も多い。ベトナムの女性は職場でも家庭でも働き者である。妻の収入が夫を上回るケースも多い。男は酒飲みが多い。ベトナムのビールの一人当たり消費量はアジアのトップクラスであり、どの男性も口を揃えて妻には頭が上がらないと言う。  さて、話を戻すと、ベトナムではそんな状態が約1000年続いたが、日本で言えば平安時代中期、唐が滅びて中国で混乱が続いた時代にベトナムは中国から独立する。ベトナムの英雄である呉権が呉朝を打ち立てた(939年)。しかし呉朝はすぐに内乱によって滅びて丁朝、丁朝も滅びて前黎朝に変わる。ただこの王朝もすぐに滅びた。呉朝や丁朝、前黎朝は日本の織田信長や豊臣秀吉のような役割だったのだろう。  その後、徳川家康に相当する李公蘊(リコンウアン)によって1009年、李朝の長期政権が作られることになる。初代皇帝の李公蘊には、中国と同じように太祖の名称が付けられている。「李太祖」、ベトナム読みで「リ・タイ・ト」である。彼の像がハノイの中心部、ハノイの象徴とも言えるホアンキエム湖を望む一等地に建てられている。これはベトナム人の心情を探る上で極めて興味深い。  ベトナムは社会主義を標榜している。そうであるなら、天安門に毛沢東の写真があるように革命に尽力した人の像を一等地に建てるべきだろう。もちろん、ホー・チ・ミンの遺体はハノイの中心部に立派な廟堂を作って安置されているが、ホアンキエム湖を望む一等地には歴史上の人物を据えている。  ベトナム人の心情はベトナムの最初の王様であるフン王の命日が祝日(旧暦の3月10日)になっていることからも分かる。フン王は全くの伝説の人物であり、遺跡も発見されていない。日本で言えば神武天皇のような存在である。マルクス・レーニン主義を国是とする社会主義国が、そんな伝説の王様の命日を祝日にしている。  日本が戦後、「建国記念日」を制定しようとした時、左翼陣営が「戦前の紀元節の復活であり、神話に基づく荒唐無稽な話は受け入れられない、軍国主義への逆戻りだ」と反対した。だが、社会主義国であるベトナムにも神話に基づく建国の日があるのだから、一概に神話に基づく祝日が軍国主義への逆戻りとは言えないだろう。

ベトナム版元寇の英雄チャン・フン・ダオ

 話を本題に戻す。ベトナムが独立してからも中国はことあるごとに攻めてきた。モンゴルが南宋を滅ぼして中国大陸に元を打ち立てた時にも攻めてきた。それは、まさにベトナム版の元寇である。時期もほぼ同じである。  元からの使者が来た時、ベトナム王は元にはとてもかなわないので降伏したいと言い出した。それに対して武将である陳興道(チャンフンダオ)が、降伏するなら私の首をはねてからにしろと、強硬な主戦論を述べた。王はその勢いに押されて戦いを決意し、陳興道は全軍を率いて巧みなゲリラ戦法を用いて戦い、元軍に勝利することができた。陳興道は今でも語り継がれているベトナムのヒーローである。  ベトナム海軍は主要な艦艇に歴史上の英雄の名前をつけており、陳興道はフリゲート艦の名前になっている。ベトナム海軍は2018年に日本に初めてフリゲート艦を派遣したが、その時に選ばれたのがフリゲート艦「チャン・フン・ダオ」である。この名前は、日本で言えば北条時宗に相当しよう。  日本に、一緒に中国に対抗しましょうという意味を込めてフリゲート艦チャン・フン・ダオを派遣した。しかし、その意図について、この手の話が好きな産経新聞も含めて日本のマスコミは全て気がつかなかったようだ。何の報道もなかった。筆者はベトナムの意図を理解した数少ない日本人の一人だったと思う。  中国とベトナムは何度も戦い、その度に英雄が生まれている。もう一人だけ紹介する。それはハノイの名所、ホアンキエム湖にちなむ話である。

ハノイにある「ホアンキエム湖」

 初めてハノイに行くと必ずと言ってよいほどホアンキエム湖(湖というよりは大きな池)を訪れることになる。ガイドブックには必ず書いてある。現地のガイドを頼んでも必ず連れっていってくれる。その湖に小さな島があり寺が建てられている。その寺の中に大きな亀の剝製がある。ホアンキエム湖で捕獲された亀であり、神の使いとされる。    10世紀末に独立を果たしたベトナムであるが、15 世紀の初頭、明の永楽帝の時代に再び中国の植民地にされてしまう。永楽帝は明の太祖の子であるが、2代目皇帝になった兄の子を殺して(靖難の変)、実力で帝位を簒奪した人物である。優れた軍事能力を持っていた。明の有名な武将の鄭和(ていわ)をアフリカまで遠征させたのも永楽帝である。  その時に立ち上がった男が後黎朝の始祖となる黎利(レ・ロイ)である。レ・ロイは神から剣を授かり、その剣によって明軍を打ち破ることができたと伝えられる。勝利の後にホアンキエム湖に亀が現れて、剣を返してくれるように言った。亀は剣をくわえて湖底に消えたという。  この物語はベトナムでは広く信じられており、ホアンキエム湖で大きな亀が捕獲されると、国を挙げての大騒ぎになる。ホアンキエムとはベトナム語で「還剣」の意味である。  それまでベトナムの政権は北部だけを支配しており、南部はチャンパ国が支配していたが、後黎朝は本格的に南進を始めてベトナム統一の基礎を作った。その意味でも人々は後黎朝に敬意を抱いている。  レ・ロイの話にはグエン・チャイの物語も付随している。レ・ロイは勇気があり喧嘩が強かったが、そんな腕っ節だけで人々を糾合して明に勝つことはできない。参謀が必要になる。また周りに多くの人が集うようになると、文章が書ける人も必要になる。その役割をグエン・チャイという学者が担った。ベトナムは中国から科挙の制度を取り入れていたために学問のある人物がいた。レ・ロイとグエン・チャイは名コンビである。グエン・チャイは今でもベトナムの人々の敬愛を集めている。  付言すれば、科挙の伝統のあるベトナム人は勉強が好きであり、こういう点はラテン的であるフィリピンとはだいぶ違う気がする。また、ベトナム人は先生を大切にするが(休日ではないが祭日として「先生の日」がある。先生に花やプレゼントなどを贈る習慣がある)、そこにはグエン・チャイの物語も力になっていると思う。  このようにベトナムは中国と戦い続けてきた。強大な敵との戦いの連続であり、決して楽な歴史ではなかったが、不屈の闘志で1000年間独立を守ってきた。  こんな話を聞いたことがある。ベトナムでは村から兵士が出征する時に兵士を村娘と交わらせた。それは出征する兵士への餞(はなむけ)の意味もあろうが、兵士が戦死した場合でも子を残し、その子が再び中国と戦うためであった。父親が戦死した場合には子供は村中で育てるという。まさに抵抗の精神である。 川島博之(かわしまひろゆき) ベトナム・ビングループ主席経済顧問、Martial Research & Management Co. Ltd., Chief Economic Advisor。1953年生まれ。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授を経て現職。工学博士。専門は開発経済学。著書にベストセラー『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』や『習近平のデジタル文化革命』(いずれも講談社+α新書)等多数。最新刊は『日本人が誤解している東南アジア近現代史』(扶桑社新書)。
日本人が誤解している東南アジア近現代史

「日本が侵略した」 「日本が解放した」 どちらも間違い!! 日本人だからこそ知っておくべき東南アジアの歴史の真実!

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