日本のHIV/AIDS啓蒙の土台を作ったDJパトリック、日本で頑張った20年間

DJパトリック,HIV,AIDS

パトリックの連載第一回目(小誌1994年8月10/17日号「パワフルHIVポジティブ パトリックのカミングアウト大作戦」)

 かつてSPA!で足かけ10年にわたり連載をしていた、DJパトリックこと、パトリック・ボンマリートが亡くなった。

 彼はHIVポジティブであることを早くからカミングアウトし、HIVの啓蒙に熱心に取り組んでいた人だった。

 アメリカ人のパトリックは1965年、フロリダ生まれ。9歳のときに両親が離婚し、母親とスペインに移住したが、17歳のとき横田基地に勤める父親を頼って来日。10代後半を東京ですごす。1986年ニューヨークに移り、1989年、HIVに感染していることが判明。日本がバブルに浮かれ、ディスコ(!)が大ブームだった1993年にDJとして再来日し、日本のメディアにHIVポジティブであることをカミングアウト。以来、サウンドプロデューサーとして東京を生活の拠点としていた。

 SPA!でパトリックの連載が始まったのは1994年8月。

 日本では、1986年、長野県松本市へ出稼ぎに来ていたフィリピン人女性がHIVに感染していたことが報道され、HIVやAIDSへの誤った知識からエイズパニックが起きた。翌1987年には、神戸で日本人女性初の感染者が確認され、さらにHIV・エイズへの差別と偏見が高まることとなった。当時はまだ、HIVは空気感染する、というような認識だったのだ。

 そんなパニックも冷めやらぬ中、奇抜なファッションとへこたれないスーパーポジティブキャラクターで、偏見をはねのけ、マイノリティによりそい、HIVの正しい知識を広めていったのがパトリックだ。性同一性障害や障害者夫婦、難病患者たちに会いに行き、中学校や高校では子どもたちに「相手を思いやるセックスって、どういうことだと思う?」と問いかける。

 もちろん自身に関係のあるHIVやAIDSについての情報も発信し、アメリカやタイ、オーストラリアなど、HIV感染者を減らすことに成功した国にも取材に出かけていった。

 連載は2003年9月2日号までの丸9年以上、445回、その後も不定期で「HIV/AIDSの今」としてリポートを続けた。

「性感染症? 何それ? ゴム買うおカネなーい! 子どもキライだから不妊症になっても平気!」とあっけらかんと語る女子高生たちにガックリしてみたり(2002年8月13号)、アメリカ取材では合法売春宿やAV組合の厳しい検査と管理に驚いたり(2003年12月9日号)。2004年には、タイ取材で初めてAIDS末期患者の姿を目にし、号泣したこともある(5月18号)。

 そして、長いHIVとのつきあいの間には、心の揺れもあった。

「ボクさあ、こんなに生きる予定じゃなかったんだよね」とパトリックが言ったのは、HIVに感染して10年目を迎えたころ。

「お薬をやめればいずれAIDSを発症する。でも、薬を飲んでいれば一生大丈夫かどうかは、わからない。2000年までは頑張ろう!っていろいろ目標を立てたけど、大部分はかなってしまった」(1998年7月1日号)

 パトリックがHIVに感染した80年代後半、HIVの薬は1種類しかなく、同時期に感染した人は、1、2年でAIDSで亡くなっていた。その後、新薬が次々と開発され、 「AIDSは死の病」ではなくなり、パトリックも「次はHIV感染20年を目指すんだもんね~♪」と目標を変更。その目標もクリアし、今年は感染から24年目を迎えたところだった。

 車をぶつけられておシャカにされても、つとめていたお店がつぶれて借金ができても、彼氏に振られても、いつだって不死鳥のようにパワーチャージして甘えてくる、憎めないヤツだったが、最近は体調も経済状態もあまりよくなかったようだ。

 パトリックとは20年以上のつきあいになる主治医の岩室紳也先生(厚木市立病院泌尿器科)は、今回の訃報に接し、以下のように語る。

「パトリックは、日本のHIV対策、予防、HIVとともに生きることを教えてくれた最初の人だと思います。その功績は計り知れないし、今の私があるのもパトリックのおかげです。彼に勇気づけられた人もたくさんいるでしょう。寂しいです」

 パトリックがいつも講演などで話していたのは、「自分らしく生きること。自分を大事にすること。自分で考えて自分で決めること」。

 20年近く日本でHIV・AIDSの啓蒙を行ってきたのも「自分で選んだ国だから」だ。

「2000年までは頑張りたいな」と常々言っていたパト。プラス13年分、よく頑張ったと思うよ。ご冥福を心よりお祈りします。

⇒【画像】パトリックの連載最終回(週刊SPA!2003年9月2日号より)
http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=424626


DJパトリック,HIV,AIDS

パトリックの連載最終回(小誌2003年9月2日号「パワフルHIVポジティブ GO!GO!PATRICK!」)

<文/元パトリック連載担当>

肉体改造やジェンダーレスな美しさよりも30~40代には大事な血管年齢の話

肉体改造やジェンダーレスな美しさよりも30~40代には大事な血管年齢の話
sponsored
 例えば、テレビ番組などで昭和の映像を見たりすると、最近の人は(特に若者は)、ずいぶん洗練されたなあと思ったりしないだろうか? 「人は見た目が9割」と…

連載

ばくち打ち/森巣博
番外編その3:「負け逃げ」の研究(12)
メンズファッションバイヤーMB
「クールビズ」がダサく見えるのはなぜ?
山田ゴメス
妊婦でAV出演を決めた、貧困シングルマザーの事情
オヤ充のススメ/木村和久
人生は決して諦めないこと…映画『トランボ』に学ぶ
フミ斎藤のプロレス講座/斎藤文彦
ホーガンがWWEと“絶縁”した日——フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第140回
英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅
「俺と二人で旅がしたいの?」——46歳のバツイチおじさんは男前すぎるセリフを真顔で言い放った
原田まりる
ファミレスで隣の席の会話に聞き耳を立てていたら、大喜利を観覧したような気分になった話
18歳女支配人・このみんの経営学「私のミカタ」/園田好
「なんで飲食業でモデルみたいな恰好してるんだ?」ロスの税関で4時間尋問を受けて感じたこと
大川弘一の「俺から目線」
俺の問題にはなるな——連続投資小説「おかねのかみさま」
プロギャンブラー・のぶき「人生の賭け方」
「ポケモンGO」を配信前の日本でプレイしてみたよ 秋葉原でポケモンゲットだぜ!
フモフモ編集長の今から始める2020年東京五輪“観戦穴場競技”探訪
吉川晃司もやっていた“東京五輪最強の穴場”競技とは?
おじさんメモリアル/鈴木涼美
「顔じゃなくて知性で女を選ぶ」男の無知性
僕が旅に出る理由 in India/小橋賢児
北インド秘境で「宇宙に住んでいる」と実感した——小橋賢児・僕が旅に出る理由【最終回】

投稿受付中

バカはサイレンで泣く 投稿受付中
佐藤優の人生相談 投稿受付中