町長と議会が真っ向対立。南三陸町で今何が起きているのか?
― 被災地「地元紙」が見た復興を阻む意外な大問題【4】 ―
“あの日”から半年以上が経つ。被災地の「地元紙」は、3・11以前から、街に寄りそい、そして以降も地域の避難情報、救援情報を発信し続けている。被災者でありつつも記者という立場の彼らだからこそ見える課題がある。大マスコミからは注目されない現場事情を追った
【南三陸町】
◆町長と町議会が真っ向対立。進まない議論
町全体が波に呑まれた南三陸町。防災対策庁舎のアンテナにつかまり助かった佐藤仁町長の奇跡の生還は新聞やテレビで頻繁に紹介され、また、最後まで無線で避難を呼びかけ続けた女性職員の勇気は、野田首相の所信表明演説でも触れられた。今はただ一刻も早い行政機能の回復が急がれる。が、4年にわたり南三陸町で取材をしてきた地元紙『三陸新報』の玉谷誠一記者によると「町長と議員が背中合わせになり、議会で何も決まらない状態が続いている」という。一体、何が起きているのか。
南三陸町は2005年に、隣接する志津川町と歌津町が合併してできた新しい町だ。実はこのとき、合併後に、町役場と防災対策庁舎を高台に移転する旨の申し合わせが交わされていた。しかし、合併後、初の町長となった佐藤町長は移転予算を別に使う方針を打ち出したのだ。
「当時町長は、役場の移転より遅れている医療や教育問題などを優先したいと考えたのです」
ところが今回の津波で、庁舎にいた職員20人以上が犠牲になったことから、その問題が再び浮上。責任を追及する声が上がったのだ。
「議員のなかには親戚をあの庁舎で亡くした人もいて、しこりが残ってしまった。さらに災害時に職員を庁舎に集合させた防災マニュアルの不備も指摘され、対策を先送りにしてきた町長へと怒りの矛先が向いたわけです」
それから今日まで、議会側は町長の提示する施策に対して反発を繰り返すばかりだという。
⇒【後編】に続く「仮設病院で医療もままならぬ状態に」
https://nikkan-spa.jp/66520
<三陸新報>
「これからが正念場の復旧・復興」(9月11日付)
創刊年:1946年/配布エリア:気仙沼市、南三陸町
部数:現在約1万9000部 気仙沼市ではおよそ7割の世帯が購読
高台の社屋は震災を免れたが、停電と故障のため輪転機は稼働せず。急きょクルマのバッテリーと社内のプリンターを繋ぎ、津波翌朝にA4サイズ・1枚の号外を300部印刷。動ける社員全員で避難所に配った。その後、読者が一番知りたいのは家族の安否情報と考え、避難所の被災者名簿を連日掲載。社員総出で避難所から集めた避難者名簿をパソコンに入力し続けた。受け取った読者からは、感謝の声が絶えなかったという
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