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浸水地の新築、増改築が禁止。復興が進まない気仙沼

― 被災地「地元紙」が見た復興を阻む意外な大問題【2】 ― “あの日”から半年以上が経つ。被災地の「地元紙」は、3・11以前から、街に寄りそい、そして以降も地域の避難情報、救援情報を発信し続けている。被災者でありつつも記者という立場の彼らだからこそ見える課題がある。大マスコミからは注目されない現場事情を追った 【気仙沼】 ◆県の建築制限で身動きすらとれず、募る危機感 津波は、日本有数の水揚げ量を誇っていた気仙沼漁港の水産関連施設をほぼ破壊した。当初、あまりに甚大な被害状況に、1~2年は開港できないとの指摘もあったが、予想に反し6月下旬に早々とカツオの水揚げが始まり、8月にはサンマの水揚げも再開。魚市場では働く人の姿も見られ、はた目には復興が着実に進んでいるかのようにも映る。が、地元紙『三陸新報』で水産部門を担当する守竜太記者は、「まだ復興のスタートラインにも立っていない」と語る。 「一日の総水揚げ量は、まだ例年の1~2割程度で、以前の水準まで増える見込みも立っていません。この港で大量の魚が水揚げされてきたのも、それを“呑みこむ”だけの冷蔵庫や加工工場があったからこそ。それが失われたままでは、再生の動きには繋がりません」

港は活気を取り戻しているように見える。が、「トラックが止まっている場所は市場内の通路。仲買業者の工場が被災してしまったため、通路で作業せざるをえないんです」(守記者)

 気仙沼は関連業種まで含めれば、市内就労者の7割が水産に依存していた。長い歴史の中で培ってきた基幹産業である水産業の復興なくして町の復興もありえない。ところが、かつて冷凍庫や水産加工工場がひしめいていた地区は、半年が過ぎた今も崩れかけた工場跡や錆びた鉄骨がそのまま残る。また、加工工場や住宅地、商店街が集まっていた鹿折地区も、ガレキは撤去されてはいるが、手つかずのまま。復興を急ぎながら、なぜなのか? 「復興を縛る要因のひとつが宮城県の建築制限です。無秩序な開発を防ぐのを目的に、浸水地の新築、増改築が禁止されたんです。当初、9月11日が期限とされていましたが、区画整理事業の対象となる可能性が高いのを理由に2か月間、延長されました」 ⇒【後編】に続く https://nikkan-spa.jp/65483 ⇒【画像】“復興”からは程遠い…写真で見る三陸沿岸の現在 https://nikkan-spa.jp/61322 <三陸新報> 「これからが正念場の復旧・復興」(9月11日付) 創刊年:1946年/配布エリア:気仙沼市、南三陸町 部数:現在約1万9000部 気仙沼市ではおよそ7割の世帯が購読 高台の社屋は震災を免れたが、停電と故障のため輪転機は稼働せず。急きょクルマのバッテリーと社内のプリンターを繋ぎ、津波翌朝にA4サイズ・1枚の号外を300部印刷。動ける社員全員で避難所に配った。その後、読者が一番知りたいのは家族の安否情報と考え、避難所の被災者名簿を連日掲載。社員総出で避難所から集めた避難者名簿をパソコンに入力し続けた。受け取った読者からは、感謝の声が絶えなかったという
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