中年の星!中日・和田一浩、最年長42歳11か月で2,000本安打を達成した生き様
42歳11か月という史上最年長で2,000本安打を達成したプロ野球・中日ドラゴンズの和田一浩外野手。試合後の記者会見では、満面の笑みを浮かべながら感謝の気持ちを表現した。
「(あと2本で始まった)1打席目がすごく大事と思っていましたが、いきなり2死満塁の場面で回ってきたので自然と気持ちが入りました。(結果は先制2点タイムリー)。(2,000本安打を放った)2打席目は、案外、普通の感じで打席に入れました。開幕戦の第一打席に入るより、緊張はしませんでした(笑)」
東北福祉大学、神戸製鋼を経て’97年にプロ入りした遅咲きの大ベテランは、自分がプロ野球史上45人目となる大記録を達成するとは、夢にも思っていなかったという。
「プロに入ってから、なかなかレギュラーを獲れる選手でなかった自分が、実際に2,000本安打を打って、すごく不思議な感じがします。通算打率が3割を超えている、とか言われていますが、約7割は失敗しているということ。打席では悔しい思いが多くて、あまりいい思いをしたとは思っていません」
アマチュア時代は強肩強打の捕手として、社会人野球で活躍した和田。同時期に捕手として切磋琢磨しあった、元中日ドラゴンズ捕手の小田幸平さんは和田の魅力をこう語る。
「上から“ばちーん”とボールを叩き潰すような、あの独特な打撃フォームでよく打たれました。アマ時代は俊足の4番打者で、シングルヒットでも気がつくと(盗塁をされて)常に2塁にいるような、気の抜けない好選手でした」
プロ入り当初は捕手だった和田。実際にライオンズに入団した’90年代後半は捕手、外野手、代打、DHとしていきなり日本シリーズにも出場するほどの選手だった。しかしレギュラー定着には、当時の正捕手・伊東勤という高い壁が立ちはだかった。
「あと5本で千葉に入ってからは、伊東さん(千葉ロッテ・マリーンズ監督)に『絶対に2,000本は打たせないからな!』と毎日言われていました(笑)」
その敵将の前で、初戦1安打、第2戦で2安打を放った和田は、昨日の第3戦で3安打の固め打ち。記録達成直後の第3打席では通算2,001本目の安打をライト前に放った。
「’08年にFAでドラゴンズに移籍してきたのが、現役を長くやれている大きな要因のひとつだと思います」と語るドラゴンズには、お祝いの花束を届けた谷繁元信監督兼選手(44歳)をはじめ、まもなく50歳となる山本昌、小笠原(41歳)、岩瀬(40歳)と現役名球会選手が4人もいる“長寿クラブ”だ。
谷繁監督から花束を受け取ったときは「これは一つの区切りで、まだまだこれからだよ」と言葉をもらった和田は、会見の最後をこう締めくくった。
「今日の喜びよりも、優勝する喜びのほうがもっと大きい。今年はどうにか優勝したい。1位との差も、まだ手の届くところにありますから」
記録達成から一夜明けた今日。イーグルスとの交流戦のため、大学時代を過ごした仙台に移動した和田は、試合前、プロ入りの道を作ってくれた元東北福祉大学野球部監督の故・伊藤義博さんの墓前に記念のボールを持って報告に行くという。
どこまでも謙虚で実直な和田一浩選手、大記録達成おめでとうございます!
取材・文・撮影/小島克典(スポカルラボ)
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