ジェシー・ベンチュラの野望――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第68回
引退の理由は心臓のすぐそばに血栓が発見されたことだった。ステロイド使用の副作用説がささやかれたが、ベンチュラはこれをかたくなに否定した。1986年にいちどカムバックを試みたが、その後、肺動脈塞栓症と診断されプロレスをあきらめた。しかし、現役生活の終止符は“元プロレスラー”としてのまったく新しいチャプターのプロローグを意味していた。
ギンギラの衣装と毒舌コメントでWWEの名物コメンテーターとなったベンチュラは、ホーガンやロディ・パイパーがそうであったように映画俳優転向の道を探った。
現役時代から「アーノルド・シュワルツェネッガーは友人。ベニスビーチの“ゴールドジム”でよくいっしょにトレーニングした」と豪語していたベンチュラは、映画『プレデター』(1987年)でほんとうにシュワルツェネッガーと共演し、デビュー2作めの『バトルランナー』(1987年=原題“ランニング・マン”)ではシュワルツェネッガーの“敵役”キャプテン・フリーダムを演じた。
プロレスのリングでホーガンにやっつけられるよりも、スクリーンのなかでシュワルツェネッガーにやっつけられるほうがベンチュラにとってははるかにグレードの高い仕事だった。シュワルツェネッガー作品にたてつづけに出演したことで、ベンチュラはまんまとハリウッドの住人になった。
『鉄拳ブルース』(1989年=原題“サンダーグラウンド”)、『裸の十字架を持った男』(1990年=原題“リポゼスト”)といったB級アクション映画数作品に出演後、1990年には『エイリアン・チェイサー』(原題“アブラクサス”)でついに主演を勝ちとった。現役時代から頭のてっぺんのほうはかなり薄かったが、スクリーンのなかではカツラをかぶることで別人になりきった。
アクション俳優としての仕事が軌道に乗りはじめたとたん、ビンス・マクマホンと契約問題でケンカになった。ビンスは「ベンチュラはクビ」と発表し、ベンチュラもメディアのインタビューで「あんな会社、オン出てやった」と主張した。どちらのコメントが正しかったかは、いまとなってはあまり重要ではない。
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