北インド秘境で「宇宙に住んでいる」と実感した――小橋賢児・僕が旅に出る理由【最終回】
ガイド以外の全ての人間とは一旦お別れし、僕とガイドだけでヒマラヤ山脈の囲む荘厳な山道を歩きはじめた。人気はおろか生き物の気配すらもない茶色い広大な景色はまるで火星にでもたどり着いてしまったかと錯覚してしまうほど神秘的という簡単な言葉では表現できない世界であった。
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同じ地球上でこれだけの別世界があるというだけでも驚きだが、さらなる奥地に寺院や人が住む集落があるというから驚きだ。
数時間ほど歩いてたどり着いた寺院では年老いた僧侶から沢山の子供達の僧侶までが同居していて、そんな彼らの生涯の大半はここでの生活なんだという事が容易に想像がついた。年老いた僧侶にきいてみた。
僕:ここで主に何をしているんですか?
僧侶:ここは大勢の僧が宿坊に住み込み、修行していて、お祈りをしたり仏を祀るだけでなく僧の修行、教育の場でもあり、チベット仏教を学ぶだけではなく、言語や一般社会の事までも学ぶのだよ。
僕:僧侶の多くはここで生涯を過ごすのですか?
僧侶:そういうものもいるが最近はやはりもっと他の世界をみたいと僧侶になることをやめてしまう若者も少なくないのだよ…
インターネットの情報はもちろん、僕らのような観光客が訪れる事だって外部との接点が生まれる事になるのだから、他の世界をみたいと思うのは
普通の事だよなぁ…。ただもちろん他の世界にいけば自分の常識とは異なる環境があり、素敵なものばかりではない嫌なものにだって出会ってしまう事がある。何も知らずに生涯をここで過ごすことと、新たな世界に出会うことがどっちが幸せなのか、いつもなら後者と答える自分もここまでの秘境に暮らす人々を目の前に簡単に言える言葉ではない感じがしてしまった。
それこそ今の自分の対極にある世界をみたいとやってきたここインドでの生活も最初の頃は嫌なものばかりが目にはいってしまい、それこそ1週間しかいれなかったら、ただインドが嫌いになって帰ったかもしれない。
ただ僕の場合はラッキーなことに普通に生きていたら年に数回あるかないかのトラブルや非常識な出来事を一日に何回も味わい、まるで千本ノックのような経験を繰り返すうちに、嫌な感情をつくりだしてるのは実は自分自身なんだという事に気づいていけた。やがて起きた全てのトラブルを楽しむように思考が訓練され、そのおかげで全ての流れや出会いが変わって、今こうして北インドの秘境で旅をしている。
物事というのは常に中立であって、結局のところはどこへいこうと何が起きようと、全ては自分自身の意識づけでこの世界の価値は成り立っていると思うと、都会に住むことが楽しい人生で、この山奥で生涯僧侶として修行をするものがつまらない人生なんてことはないわけだ。きっと数百年、数千年と変わらぬこの景色や人々の生活をみていると、変わってしまったのは僕ら世界だけで本質的なものは何も変わらないし大切なことは全てシンプルな世界に存在しているのだという事をわからされる。
寺院の帰り、静寂のトレッキングロードを歩きながらインドで起きた様々な事を思いだしては、そんなことを幾度も考えたのだった。
通常の山道なら大したことない距離ではあったが、途中4000メートルを超えるところもあり、息を何度か切らしながらトレッキングロードを進んでいった。
そうして歩くこと数時間、ようやく到着した地では先回りしていた他のスタッフがテントや食事を用意してくれていた。ラダックの人間は本当に温かく素敵な人ばかりで、お互いを茶化してはじゃれあったりする少し年下のお茶目な彼らと過ごすラダックの夜は何だか微笑ましく温かい気持ちになれた。
日が落ちると気温は一気に下がり温度計の針はマイナス20度をかるく下回っていった。
通常の寝袋だと到底絶えきれないのでマイナス50度以下の高地でも耐えられるという軍ものの寝袋を貸してもらった。
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夜空に広がる星空を前に、たとえ極寒の中でも外にいたいと想いが募ったのだった。そして、テントの外に寝袋を出してその手でつかめそうなくらい僕の周りを覆い尽くす星空を出来る限り眺めた。
あぁ僕らは宇宙に住んでいるだぁ。
リアルなのにまるでプラネタリウムにいるかのような広大な宇宙空間に包まれ、僕らは宇宙を旅する地球船に乗船しているという事を実感した。必死に寒さをこらえながらその空間に身をゆだれていたら何かを考える事さえ出来なくなっていった..
ふとすると“個”という自分の存在さえないようなリアルなのにまるでアイソレーションタンクにでも入ってるかのように身体中の感覚がなくなり、そこには宇宙に輝く星空とかすかな呼吸の音があるのみであった。そもそも個という存在はなんなのか、そもそも個なんてないんじゃないのか、人は生まれてはやがて死んでいく。どんな生命も産まれては必ず消えていく。だからこそ多種多様な生き方、考え方、色々あって、それでいい。
言葉で表現することはとても難しいが“個”という存在が自分からなくなった時、人はただ自然の一部なんだという事をわからされるのだった。
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