北インド秘境で「宇宙に住んでいる」と実感した――小橋賢児・僕が旅に出る理由【最終回】
2015年の夏、日本中でもっとも熱かったダンスミュージックフェスティバル「ULTRA JAPAN」は、一人の男の熱狂から始まった。周囲の反対を押し切って開催したイベントは成功し、巷間に伝導したころ、その男はバックパック一つでひっそりと旅立つ。
【僕が旅に出る理由 最終回】
行き当たりばったりは、今回の旅ならではあったが日本帰国まで残り2週間をきっているというのに未だ次の目的地どころか最後の目的地も決まっていなかった。
前回もお話したが、この時点であった選択種は3つ。一つはブータン、一つはインドネシアで期間中におきる皆既日食、もう一つは二人の友人からすすめられた北インドの秘境ラダックであった。
次の行く先が決まってないのも、今いる場所に何日滞在するかも全て直感で決めていた旅ではあったので、目的地が決まらずとも焦る事もなくどこか楽観的ではあった。
ある日、バラナシの街をブラブラと歩きながらふとインドルピーが少なくなっている事に気づいたので、久しぶりに両替することになった。
たいてい街にある両替所は店によってレートがまちまちでかつ交渉も可能なので(という事はボッたくられることも多いにある)、この日もいくつかの両替所を歩き回っては一番条件が良さそうなところを探していた。
ちなみに今回インド出発までに海外で現金をおろせるデビットカードの発行が間に合わず、無謀ながらに現金を様々な場所に隠して持ち歩いてた。幸いにも物価の安いインドでは3ヶ月近くたったというのに手持ちの日本円はゆうにあまっていたし、現金を隠しもっていたにも関わらず特別危険な目にもあわなかった。
いくつかの両替所を周り、ようやく気の良さそうなお兄さんがやっている路地裏の両替所に辿りついた。
外国人旅行者はもちろん多くの日本人が訪れるバラナシとあってやたら流暢な日本語を話す怪しい客引きや両替所も多いなか、ここは今まで訪れたインドのどんな店よりも店主の人柄も対応もダントツにいい感じであった。大前提としてレートが良かったのでこの店に決めたのが偶然にも旅行代理店も兼ねていたこの店で、直感的に北インドのラダックの事を聞いてみたくなった。
僕:ラダックについて何かわかりますか?
両替所のお兄さん:もちろん知ってるよ!行きたいのか?
僕:いや行きたいとは思ってるのですが真冬だしまだ決めかねてます…
両替所のお兄さん:そうか!それなら良いトレッキングガイド知ってるから訪ねてみてはどうだ?
とおもむろにインターネットのガイド紹介サイトをひらきガイドのプロフィールや連絡先を教えてくれた。
僕:あの…この場合料金は?
両替所のお兄さん:いや僕はたまたま素晴らしいガイドを知ってるだけでここで管理してるわけではないからフィーはいらないよ!
通常のインドであると全く離れた地の旅行代理店でガイドやツアーを申し込むと、法外なフィーを要求してきたり、ことごとくダマされる事があるのだがこういうパターンはなかなか珍しかった。
ありがたくこのご縁をいただき、ガイドに連絡することにした。するとこの時期であってもトレッキングは可能で天気も安定しているとの事だった。但し、シーズンではないので客は僕一人との事だったが、むしろ旅の最後に喧噪から離れ自分と向き合う時間がもてるのは3ヶ月のインドの旅を整理するにはちょうど良い感じであったし、観光客のほぼいない季節に北インドの秘境を旅出来るなんて想像しただけでちょっとワクワクしてしまった。
ラダックの事は二人の大事な友人から突然メールがきて勧められて気にはなっていたものの、多くのインド人からこの時期のラダック行きは反対されていたので正直決めかねていたのだ。
しかし、こんな離れたバラナシの両替所で遠く離れたラダックの良いガイドを紹介してもらえるという奇跡は、十分すぎるくらい最後の地を決断するに値するよいサインだったし、だいたいこの旅のほとんどがそういう流れの連続でここまでくることができたのも事実なのだ。一見するとあまり決断の理由にもならなそうな事かもしれないが、僕はこういう一見偶然かのような道標のような合図をいかに見逃さないかも旅や人生を楽しむ上で大事な事だと常日頃思っている。何よりも鳥肌ワクワクセンサーが全快になったことがその証拠であったし、頭で考えたことや他人に言われた事はあくまで外的情報であって、時にそれは誤作動を起こすこともあるのだが、身体の反応というのは決して嘘をつけないと思っている。
いくつかの小さい奇跡が重なって身体に生まれたこの道標を頼りに北インドの秘境ラダックを目指すことにした。
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