インドの喧騒と静寂に思うこと――小橋賢児「大自然と向き合う大切さ」
2015年の夏、日本中でもっとも熱かったダンスミュージックフェスティバル「ULTRA JAPAN」は、一人の男の熱狂から始まった。周囲の反対を押し切って開催したイベントは成功し、巷間に伝導したころ、その男はバックパック一つでひっそりと旅立つ。
【僕が旅に出る理由 第10回】
インドを旅して一番持ってきてよかった思える3点セットは登山用のコンパクト寝袋とピロー、そして速乾性のコンパクトタオルだ。
それ以外は現地でなんでも手に入るし、日本食はそこまで恋しくもならなかったので持ってきた食材は現地で会った人々に少しずつあげて消化していった。寝袋とピローさえあれば、どんなにガタガタで汚いスペースでも快眠する事ができるし、タオルのないゲストハウスがよくあるので速乾性のコンパクトタオルは結構重宝した。
もう一つ、念のためと持っていた耳栓が意外に意外でかなり役にたった。
というのもインドの街は一日中クラクションはなるわ早朝でも寺院からお祈りの音が爆音で流れるわで静寂の中で眠るのはなかなか難しい。そんな中で耳栓があれば、完全な静寂と自分の世界が出来上がるのでインドを旅する人には是非これらのセットはオススメしたい。
次に向かったのはリシケシという街。
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ここはビートルズが修行した場所でも有名で多くの長期滞在者の西洋人やヨガの講師を目指している日本人なんかも数多くこの街へ訪れていた。
街中にはヨガや瞑想センターの広告が貼りめぐらされ、西洋人向けのおしゃれで美味しいカフェなんかも結構あった。せっかく来たのだからとヨガを体験してみたものの、数日やっただけで大きな効果が得られる訳でもないのでこの街は改めてゆっくり来ようという気持ちに何故かなってしまった。
すぐにこの直感は「このためだったのか!」という出来事に出会う。
リシケシを離れ、次の目的地に向かうのには一時間ほど車で走ったハリドワールという駅を使用しなければならなかった。夜も遅かったので駅まではタクシーで向かったのだが、駅に近づくにつれどうやら雰囲気がおかしい、警察から軍隊のような機関銃をもっている人々が街中にたっていてかなりの厳戒態勢である。これは一体なんなのか、運転手に聞いても英語が話せないので何を言っているかわからない、何だかFestival的な事を言っているようだがそれもはっきりしない。
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しばらくするとハリドワール駅に到着したがそちらの方はさらに厳戒態勢であった。
さすがに気にはなったもの次の目的地への列車の切符も購入していたので自分の乗る駅のホームに向かい電車がくるのをまつことにした。10分ほど待っていただろうか、やけにこの状況が気になって仕方なくなり、電車がホームに入ってきたとたん、突然自分の直感が乗るな!と言っている気がした。そして、目の前を通り過ぎる車両を眺めながらその場を徐々に離れてしまった。
再び駅の外に出たはいいが、時間は深夜の0時をゆうにまわっていて、宿を探すにもなかなか見つからない。そのまま人の流れにそって深夜の街を歩き数件の宿をまわり空室を確認するも何故かすべて門前払いされてしまう。
そのまま、20分くらいは歩いただろうか、真っ暗闇の商店街のようなところを通り抜けたところでガンガーの川と桟橋にでくわした。
桟橋の周りはライトアップされ、その周りを囲むように機関銃をもった兵士達がたっていた。そこまできてようやく明日ここで何かのお祭りが開催されるという事がわかってきた。それはそれで面白い流れだなぁっと思いとにかく今晩の宿を探しを続けた。しかし、何件とあたってもこのお祭りのせいか全くどこも空いていない、ようやく少し高そうな宿を見つけたところ2500ルピー(約4500円)の部屋なら空いているという。この辺にしては随分と高いなぁっと思いながらもう他もなさそうなのでそこに泊まることにした。
宿に入り、ネットでこのお祭りの事を調べてみると、なんと3年に一度のヒンドゥー教最大の祭り、クンブメラの日だという事がわかった。
世界にはこの日にこの地に訪れてガンガーで沐浴するのが一生の夢だという人がいるくらいヒンドゥー教徒にとっては重要なイベントらしい。そんなイベントに偶然とはいえ出くわしてしまったのには自分でも驚いた。
もしあの時リシケシを早々に出ていなかったら、電車に乗るのをやめていなかったらこのお祭りに出くわす事はなかったと思うと直感を信じる大切さ、一見すると良い事、そして悪いことにもその先へつながる意味があるということを改めて教えられた気がした。
翌朝ガンガーにいってみるとすでにかなりの数の巡礼者達が沐浴をしていた。
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ここに来るまでインドで沐浴する気など全くなかったのだが、何となくこのありがたき流れに感謝して僕も沐浴をしてみたくなった。見ているのと実際にガンガーにつかるのでは全く違って、久しぶりにはいったそのひんやりとした水は身体中の意識をピンと通らせ、水をはじめとした自然、そして生命のありがたみというのを感じざるえなかった。
現代のインド人もそうだが、大昔の沐浴をはじめた人々は今の日本みたいに当たり前に温かいお風呂につかれるわけでもないのでこの水につかる沐浴という行為を神聖なものとしたのは納得がいったし、これだけの大勢の人が沐浴をする日に自分自身も体験を通して理解することができたのは貴重であった。
夕刻にはアルティという炎をつかったお祈りの儀式がガンガーの川で始まった。これは毎日夕暮れと共に始まるのだが、約一時間のお祈りの終わりにロウソクに火を灯し、ガンガーにそれらを流す、見ているだけでもとても美しい儀式であった。
全く予想だにしてなかったこのありがたき流れに感謝してハリドワールを後にした。次へ向ったのはアルモラという小さな街だった。ここは日本のガイドブックには一切載っておらず友人がオススメしてくれたいくつかの場所のなかで何故か妙にいってみたくなった場所だった。
深夜特急で10時間、そこからローカルバスで山道を約6時間とこれまた少々ハードな旅であったが、インドを旅しているとこれくらいが標準な感じになってきてそこまで嫌な感じはしなくなってきていた。アルモラ自体はとても小さな街ではあるが、建物がそれぞれカラフルで可愛らしい街だ。
僕はそこからさらに離れたカサールという街にある寺に行きたかったのだがバス停からどうやって向かっていいのかわからない、なので何となくの方向と勘だけを頼りに歩き始めるしかなかった。途中途中、店の人や歩いている人に聞きながら目的地を探すのだが、僕の発音が悪いのか、インド人が適当なのか、訪ねる度に方向が変わってしまう。この街自体が山の中腹に連なって建っているため、少し移動するにも急な山道や階段を登っていかなくてはならず、そこに重いバックバックがさらにのしかかり動きを妨げる。汗だくになりながら40分くらい山を登っていたら突然二人の子供達が近寄ってきて手招きのような恰好でこっちこっちと何やら道標をしているようだった。
方向的にはそう間違ってなさそうだったし、とにかくついていってみることにした。地元民にしかわからなそうな細い路地裏の道を通り抜けるとどうやら目的地への近道を教えてくれていたみたいで丘の中腹まで出る事ができた。御礼にもってきていた日本のお菓子をあげると喜んでその場をさっていった。
するとちょうど良いタイミングでオートバイに乗った老父が走ってきて、通り過ぎ様に宿はあるのか?と質問してきたので、探しているところです。とこたえた。すると……。
老父:うちの宿があるが見るだけみてみないか?
僕:でもカサールにある寺にいきたいんですが…
老父:後で寺も連れていってあげるからまずは宿をみないか?
僕:見て気にいらなかったら泊まらないけど大丈夫ですか?
老父:もちろん、それでも寺までは連れていってあげるよ!
そこまで言うならと思い、ついていくことにした。バイクの後ろにまたがり、何度も曲がり登る山道を走っていくのをみて、この大荷物をもってこの道を歩いていくのは相当無理があったなぁっと正直心の中でほっとしていた。
山の中腹辺りだろうかバイクが止まり、ここからは徒歩でしかいけないと言い出した。見るからに険しいそうな山道を徒歩で少し登るとちょうど山の反対側にでて、そこから崖のような山道をさらに降り始めたので思わず…
僕:いや、これを降りていく気にもならないし、降りて宿が気にいらなかったらまた重いバックパックをもって登らなきゃならないし、だいたいあなたも会ったばかりな上にこの辺りはどうみてもゲストハウスなんか一つもない!
老父:確かに君の言っていることはわかる…だが本当に素晴らしい場所だからもう少しだけわしを信じてきてくれないか…
正直引き返そうかとも思ったがここまできてまた他に宿を探すのもかなり困難だし、もう少しだけついていってみるか…
そして5分ほど山を下っただろうか、棚田のような傾斜地の中腹にその老夫の宿はあった。確かに景色は抜群で、宿の目の前に美しいヒマラヤ山脈が一望でき、部屋も綺麗で広く値段も450ルピー(1泊約700円)と申し分のない感じであった。
僕:(ちょっと拍子抜けして)あなたの言う事は正しかったです。ここに泊まらせてください。ここにくるまでに幾度となくインド人に騙されてきたので正直あなたの事も初めは信用できなかったです。ごめんなさい。
老父:そうか、それは同じインド人としてとても申し訳なかった。でも信じてついてきてくれて良かった。ここは他に何もないけど静かで何よりもこの景色はわしにとってもとっておきの場所なんだよ…もしあの時たまたまバイクで通り過ぎなかったら連れてくる事ができなかったから本当によかった…
その後、老父は約束通りに寺にも連れていってくれ、奇遇にもトレッキングガイドもしていたのでトレッキングにも一緒にいく事ができた。また、寺では偶然にも巡礼でその寺を訪れた聖者にまで会う事ができ、少しの間であったが一緒に瞑想までさせていただけた。
帰り道は綺麗な夕陽を横目に山道を下り、宿へ通ずる山の崖道を降りる頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、何とか記憶を辿り宿にたどり着くことができた。とても静かな環境なので、この旅を少し振り返るのにはもってこいの場所だと思っていた。
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が、つかの間、近くからやたら大きな声が入ってくるではないか…当たり前だが彼らの方が元々住んでいるのだから文句は言えるわけもないので諦めてその声の先を聞いてみる事にしてみた。すると、これがまた実に面白いことに気づき始めた。夕飯の時間なんだろうか、毎晩決まって同じ時刻にその声は始まる。声と時刻から想像するに、おそらく夕食の時間の家族の団らんなんだろう。一同が居間に集まり、父親の一声で家族の晩餐が始まる。とにかく毎晩同じテンションで語りまくる父親だが、そこに母がまけじと応戦し、たまにおじいちゃんやおばあちゃんの声、さらには子供達の声がはさまったりもする。しかし会話の多くは父親と母親で不思議と毎晩決まった時刻にはじまり、決まった時刻にピタッとその声は止まるのだ。
まるでサザエさんの家かのように、家族の自然な団らんがそこにはあって実に微笑ましく、気づくと毎晩それらの声を聞くのが楽しみになっていた。テレビのなさそうなその家庭で話している内容は、きっと今日の収穫はなんだったとか生きる上でのとてもシンプルな話であって、事件や政治、ゴシップなどの話題なんか一切ないのではないかと思うと、公共の電波を通じた情報というのが僕ら人間が本来もっていた生活リズムを壊してしているのではないかとも考えさせられる程、自然の営みの中で生活をする家族の一部を垣間見ることが出来た事は僕にとって希少な経験となった。
数日間はこの場所にいただろうか、あの老父に出会えたおかげで思いのほかにこの地が気にいってしまいなんだかんだどこの地よりも長く滞在してしまった。
この後、もう少し北を目指すべきか悩んだのだが、たまたま友人がインドの南側のゴアという地でイベントを開催しているときき、気分転換に一度南にでもいってみるかという気分になり、急遽南へ向うことになった。
これまでの移動はほとんどバスか電車だったので久しぶりの飛行機はなんだかとても新鮮だった。逆にあれだけ苦労して動いた距離をあっけなく一瞬で通りすぎあっという間に目的地についてしまい、なんだか逆にもったいない気もしてしまった。
ゴアは10年前くらいに年越しを過ごすためにきたことはあったのだが、以前よりもかなり観光化が進んでいるような感じがしたし欧米人も含め、インド全土からリゾートを楽しもうと多くのインド人も押し寄せていた。
これはインド全土に言えることなのだが、元々は少数の欧米人に人気のあった土地がSNSなどでシェアされ、それらのライフスタイルに憧れたインド人が逆にその地に大量に押し寄せるという事がFacebookなどのSNSを世界中の人が使い始めた4~5年前から起きているらしい。確かに10年前は山奥のレイブにこんなにもインド人は見なかったし、サングラスをしてビーチで乾杯している家族なんてのもあまり見かけなかった気がする。
不幸というかなんというか自分の国にも関わらず、よそからきた外国人にそんな浮かれたインド人達は少々煙たがられたりもしてもいた。というのもインターネットの情報だけで遊びにくるものだから、その地がもともともっていた空気とか徐々に築き上げた暗黙のルールやマナーとかを完全に無視で、例えばある西洋人のカップルが綺麗な夕陽をロマンティックな気分で堪能していても、彼らは全くもってお構いなしに終止大声でしゃべりまくってその雰囲気をぶち壊すわ、森の中のダンスパーティーでも踊るというよりフロアのど真ん中で酒盛りを始め、ただ叫んで暴れるだけみたいな輩も結構いたりもした。
別にそのインド人がどうとかって訳でも全くないが、静寂の地からの突然のパーティーアイランドとのギャップにどうも気分がついていけなくて、ゴアはすぐ離れてしまった。
その後、ハンピという一体どうやって出来たんだ?というくらい不思議な岩山で形成された村を尋ねたり、途中でロッククライミングやパラグライダーなどのアクティビティも楽しんだりもしたのだが、どうしてもまた静かな場所へ戻りたくなってしまった。
ガイドブックをひらき、どこかそれに近いところはないか探していたところあるページで目がとまった。そういえば知人からインドの南にはハウスボートという乗り物があって、自分専用の船で川沿いに住む現地民の生活を眺めながらゆっくりと運河を進むというのを聞かされていたが、まさにそのハウスボートとやらが載っているではないか。
これはまた凄いタイミングだなぁっと思い、すぐさま南を目指すことにした。
到着した場所はケララ州のアレッピーという場所で運河沿いには沢山のハウスボートが並んでいて、それぞれ大きさも船の中味も違うので選ぶだけでも一苦労するのだが、数日共にする船なので船の中味、船長の人柄など色々吟味させていただいた。
おかげで端から端まで何度も行ったりきていたりしていたので大概みんなに顔を覚えられ、最後はお前面白そうだから安くしてあげるし乗っていきな!と
言われたハウスボートが二階建ての上に三部屋もついていて僕一人では完全に大きすぎるくらいだったのだが、相場よりかなり破格の値段だったのと船長達の人柄もとても良さそうだったのでそのハウスボートに決めることにした。
ハウスボートには船を運転する船長に自分専用の部屋、快適なベッド、シャワーがついていて、いつでも料理をつくってくれる専用のシェフまでついていた。
運河沿いでは川で食器を洗ったり衣服を洗濯するお母さん、朝夕に風呂に入るように川で水浴びをする父親、子供達の登下校の姿などそこで生活する人間の自然の営みを垣間見ることができる。
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1081313
ハウスボートの三日間の旅は携帯やPCなどの通信機器はあえて一切つながなかった。誰ともしゃべらず、インターネットで情報もとらず、ただ毎日綺麗な朝日と夕陽を眺め、鳥や動物、自然の声に耳を澄ませそこで生活する人々を眺める。
現代の情報社会に中にいるとこうやって自分と向き合う時間をつくる事がなかなか難しくなる。特に僕たち日本人は子供の頃から集団圧力の中で育ち、自分の本当の声よりも周りに合わせてしまう習性がどうしてもあるので、ついつい周りの人間が何を発言し、何に興味をもっているのかを気にしてしまう。
特にソーシャルネットワークとスマホを誰もが利用するようになってより拍車をかけているようで、人と話していようが、自然の中にいようが気づくとスマホの画面ばかり見つめてしまう。このSNSのタイムラインの中では時に素晴らしい情報に出会える事があるので、それらを見つけ、シェアをして、反応をみるという行為が気づくと中毒になっていたりする。これらの行為に人がはまってしまうのを間欠的不規則報酬ともいうらしく、パチスロのように毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないが故に人の脳を興奮させ中毒になる原因をつくってしまうそうだ。
考えればFacebookやTwitterなどのタイムラインで時に素晴らしい情報にありつけた時、人は高揚状態になりそれらをシェアしては人のフィードバックをうけさらに高揚する。気づくと情報の本質よりもシェアをした後の相手の反応の方が気になっていたりする。インターネットよって世界はつながり人々のライフスタイルが変わり良い面もあるが、使い方を考えないと人生の中心がインターネットの中の虚像空間で終わってしまうのではないかと危惧する時がある。だから時に意識的にスイッチをオフにしてデジタル断食したり、大自然と自分とだけで向きあう時間をもつことも、これからを生きる上で大切になるのではないかと思う。
最近では脱都会といって都会を離れ田舎の自然と共に生きる生活を選んでいる人々も増えてきている。それはそれで人間として生きる上でとても素敵な事だと思うし、僕の周りでも実践して素晴らしいライフスタイルを送っている方々も沢山いる。だけど、あえて今はこの都会の混沌としたなかでテクノロジーがもたらす良い面と悪い面、人々の善悪の両極を肌で感じながら自分がこの世の中で何をすべきかを考えたいとも僕は思っている。
俗世間から離れず時に社会の闇をも感じながら、旅をしたり自然と触れたりすることの両極のバランスを見続けたいとも思っているし、実際にインドにきてこれだけ人の考え方、生き方に多様性があるのを肌で感じると自分がもっていた固定概念なんてものはいとも簡単に崩れ去ってしまうし、その良い面も悪い面も両極を知る幅が広がれば広がるほど、人生にとって大切な事がシンプルに見えてきてくる気がしてならない。
正と死、善悪、貧富、環境問題、道路を横切るベンツの横には野良牛や手足のない物乞いが屯したり、大昔と未来が常に並行し地球上にある問題の全てが同時にあるといっても過言でもないそんなインドでその両極を知るにはこれ以上ないような環境なのかもしれない。
この地で起きたことを悪く捉えればその負の連鎖は始まるし、全て受け入れれば素晴らしい出会いの連鎖も始まっていったりする。普段生きていたら数ヶ月に一度あるかないかの問題がインドでは一日の中に何度も起きるので1000本ノックのように自分の思考が試される。
また、この地を旅して思うのはきっと人生が一瞬で変わるなんて事は妄想であって、何事もいかに変化していく思考に慣れていくか、じゃないのかと思う。例えば事故を起こして人生が変わった!という人は事故が起きた瞬間に変わったのではなく、入院生活の中で死と向き合った事で思考が変化し、その変化した思考に慣れていったんだろうし、悪いものに手を出してしまう人だって最初はいけないと思いながらも、一度くらいとほんの小さいきっかけからはじまって、あともう一回だけという思考に慣れていってしまい、気づくとそれ自体が悪い事すら忘れていってしまうのではないかと思う。
特に今だカースト制度が根強く残るインドにおいては、貧乏に生まれたら一生貧乏で変わる事がないと子供の頃から教えられているで、その心の癖が今だ変わらぬ路上の物乞いを増やし続けてしまうのかもしれないし、観光客からはお金はとってなんぼという環境に思考が慣れてしまえば、それに対して悪いなんて心は一切産まれる事はないのだと思う。
だから特にこのカオスなインドにおいてはいちいち起こる出来事に反発していても仕方ないという風に次第に心は慣れていくし、ようは自分次第の思考で世の中の全ての見え方が変わるのだという事を実践をもって教えてもらえるのだ。
ハウスボートでの静寂の時間の中で人々の自然の営みを眺め、これまでの旅や自分の思考を整理し、そして残りの旅も考えた。
人生を変えたい!とか何かをつかみたい!なんて未来を考えるよりも今という時に常にフォーカスして、その一瞬一瞬の起きる出来事の捉え方を変えていくことに慣れていく方がよっぽど素晴らしい未来につながるとおもうし、インドがその地として最適な場所だって事が改めて考えることが出来た貴重な時間となった。
そして、長いようで短かったこのインドの旅はいよいよ終盤へと向っていくのだが、さらに予想だにしない展開へと連れていかれるのだった…
●小橋賢児(こはしけんじ)
俳優、映画監督、イベントプロデューサー。1979年8月19日生まれ、1988年、芸能界デビュー。以後、岩井俊二監督の映画『スワロウテイルバタフライ』や NHK朝の連続小説『ちゅらさん』、三谷幸喜演出のミュージカル『オケピ!』など数々の映画やドラマ、舞台に出演し人気を博し役者として幅広く活躍する。しかし、2007年 自らの可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後、世界中を旅し続けながら映像制作を始め。2012年、旅人で作家の高橋歩氏の旅に同行し制作したドキュメンタリー映画「DON’T STOP!」が全国ロードショーされ長編映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また、世界中で出会った体験からインスパイアされイベント制作会社を設立、ファッションブランドをはじめとする様々な企業イベントの企画、演出をしている。9万人が熱狂し大きな話題となった「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターも勤めたりとマルチな活動をしている。
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