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1人の女を奪い合い死者13人…戦時下の悲劇「アナタハンの女王事件」【大量殺人事件の系譜】

「内地は島より怖い」故郷・沖縄で再婚した和子の言葉

 6年が過ぎた1950(昭和25)年4月。32人の男のうち殺人と怪死、病死を含め13人が死亡し、19人に減少。和子は28歳になっていた。揉め事と殺しが絶えない中、男たちは恐ろしいことを考えついた。 「和子がいるから争いが起こる。すべての元凶の和子を処刑し、平穏な生活を取り戻そう」  この計画を1人の男からリークされた和子は、米軍の船に助けを求め救出された。翌年、残っていた19人も帰還を果たした。  桐野夏生は、このアナタハン島での史実をもとに小説「東京島」を創作。木村多江、窪塚洋介らが出演して映画化もされた。  緊迫する戦時下、孤島での異常な心理状態がもたらした殺人は、不可避性があったというべきなのか。帰国後も悲哀のドラマは終わらない。ある男は、帰国の2年前に戦死の公報が妻に届き、妻は男の弟と再婚し子供までもうけていたのだ。男は結局、妻と子供を改めて受け入れることになった。  和子の夫は、既に帰国し他の女性と結ばれていた。失意の中で「アナタハン事件」は映画化されるなど、和子は好奇の視線に追いかけられた。場末のストリップ劇場に出演し、落ちていく和子。このころ「内地は島より怖い」と、和子は漏らしたという。34歳になったとき故郷・沖縄で再婚した和子は、仲睦まじい家族に恵まれ、ようやく安息を手に入れた。そして、1974(昭和49)年に脳腫瘍で倒れ、わずか52年の数奇な生涯を閉じた。 広島平和記念公園 戦後71年、8月15日は終戦記念日だ。今年5月には、広島を訪れたアメリカのオバマ大統領が、被爆者と言葉を交わし、献花し、祈りを捧げた。そして、平和記念資料館の芳名録に、 「私たちは戦争の苦しみを経験しました。ともに平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」  と記した。アナタハン島で終戦を知らずにいた32人もまた、大きな「戦争の苦しみを経験」した犠牲者ともいえよう。アメリカの現職大統領が被爆地を初めて訪問したことは、戦後の一つの節目と捉えることができる。ただ、先の大戦の傷跡は、思わぬ人々の心にも沈殿したことを忘れてはいけない。 <取材・文/青柳雄介>
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