ジャスティン・ブラッドショーってだれ?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第218回(1996年編)
クローズラインで対戦相手からフォールを奪ったあとの“ウィーッYouth”の雄叫びと人さし指と小指を突き立ててのテキサス・ロングホーンのポーズは、尊敬する大先輩スタン・ハンセンのルーティンをちゃっかり拝借した。
蛇足になるが、JBLのマネジャーのダッチ・マンテルは、日本では第一次UWFの旗揚げシリーズ第1戦(1984年4月11日=埼玉・大宮スケートセンター)で前田日明とシングルマッチで対戦し、前田のスピニング・ヒールキックを顔面に食らったレスラーとしてマニア層のファンに記憶されている。
ちなみに前田のシグナチャー・ムーブだったスピニング・ヒールキックは、スピニングの“ニ”とヒールキックの“ヒ”がつづけて発音されたため“ニールキック”という誤ったヒアリングからくるカタカナ表記がかなり長いあいだ用いられていた。
JBLは1967年、テキサス州スウィートウォーター出身。アビレーン・クリスチャン大時代はフットボールで活躍し、卒業後はNFLのトライアウトに参加。一般企業でサラリーマン生活を経験後、24歳のときにミネソタ州ミネアポリスの“ブラッド・レイガンズ道場”で3カ月間の集中トレーニングを受け、1992年9月にダラスでデビューした。
かつてダラスを本拠地にテキサス州全域にサーキット・コースを組んでいたWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング=フリッツ・フォン・エリック代表)はすでに崩壊し、テネシーUSWA(ジェリー・ジャレット派)との合併でスタートした新グループもこの時点で活動休止。JBLはWCCW-USWAの流れをくむ新団体GWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)をホームリングに選んだ。
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