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ミック・フォーリー インタビューPART2 意識下の暴力――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第216回(1996年編)

RAWマガジン表紙

“デスマッチ王”カクタス・ジャックとして90年代前半、日本とアメリカのインディー・シーンで一世を風びしたミック・フォーリー(写真はRAWマガジン表紙より)

 1990年代前半に“デスマッチ王The King of Death Match”として一世を風びしたミック・フォーリー――当時のリングネームはカクタス・ジャック――がWWEと契約をかわしたのは1996年1月。フォーリーが語った“意識下の暴力”とは? いまから21年まえのインタビューを再編集しておとどけする。(1995年9月取材)

――IWAジャパンの“デスマッチ・トーナメント”(1995年8月20日=川崎球場)は歴史的なイベントでした。

「試合の翌日、ニューヨークに帰る飛行機のなかでこんなことがあった。わたしは顔、耳、頭の後ろのほうを何カ所か縫って、そこらじゅうに包帯を巻いてビジネスクラスのシートに腰かけていた。となりの席に座っていたご婦人はきっと気分が悪くなったのだろう。途中でほかの場所に移ってしまった。フライトアテンデントが氷や冷たい飲みものを運びつづけてくれた。『いったい、どうなさったのですか?』と聞かれた。わたしは『ア・レスリング・マッチ』と答えた。爆弾で火傷をした。5000個の画びょうの上に頭から落とされた。五寸釘のベッドに寝かされた……。そんなことを説明したって、とうてい理解してはくれない。キミだったらどうする?」

――どうしてそんなことになったのですか、とたずねます。

「そうだろ? だから、わたしは『ア・レスリング・マッチ』と答えることにしているんだ。でも、それだけ。たいてい、会話はそこで終わる」

――まあ、そうでしょうね。

「リングのなかで起こっていることは一種のファンタジーなんだ。シルベスター・スタローンのバイオレンス映画が、めんどうくさいプロットなしで目のまえで観られる。観客はそういう感覚を持っている」

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数日前、息子が血だらけのわたしが載っているページを見ていた

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