“みんな恋愛をしていない”現代の「恋愛小説の形」とは? 川村元気が2年ぶりの新作を語る
――最初からプロットは決めて書かないのですか?
おおまかなプロットは用意しているんですが、小説を書くときは“半生”で書くようにしているんです。やっぱり全部固めて書いた時の面白くなさったらない。映画ってみんなで作るものだから脚本をカッチリ固めて設計図を用意しないといけないんですが、小説は一人で書いてるぶん、自分でもわからないことを書かないといけないと思うんですよね。自分でもわからないことを一生懸命考えて書いているうちに、思いもよらない答えが出て来たときにすごく感動するんです。著者自身が感動しているところと、読者が面白いと思うところが、きっと一緒なんですよね。
――そのぶん、後半は生みの苦しみもあったと。
そうですね。その結果、毎回映画でやっているのと同じことをやっています。『モテキ』と『君の名は。』と同じで、最後は走るという(笑)。
――ただ、ラストシーンは、ずっと感情の起伏が見えづらかった主人公の藤代が必死に走り叫んでいる様子が生々しくわかる描写で、すごく印象的でした。
ありがとうございます。ネタバレになるから詳しくは話せませんが、あのシーンって、感情と行動の順序が逆に来るんですよ。感情に支配されない行動というか。でもそれが恋愛ってものの凄さであり怖さだよなって。人間っていう生き物がどんなに頭で考えても制御できない感情ってものが確かにあって、でもそっちのほうがいいって結論にしたかったんですよね。あそこを書けたときに「あ、これで終われるな」と思いました。
『モテキ』にしても、最後は泥だらけで走り回って、よくよく考えれば「なんだコレ?」ってシーンなんですけど、そこは「なんだコレ?」にしたかったんですよね。『君の名は。』も同じで、後半はずーっと走っていますから(笑)。
――でも、そういう無我夢中で走る主人公の姿になぜか羨ましさも感じたんですよね。
もう走れないですからね、僕たちは。走るのは電車乗り遅れるときくらいで、好きな人のために走るなんてありえなくなっちゃっていますからね。タクシーに乗っちゃうし(笑)
――そういえば、映画『道』の描写が本作でもありましたが、やはり川村さんにとって特別な作品ということなんでしょうか?
そうですね。小学校の頃からずっと観ていたんで。今はみんな、なるべくお得になろうとするじゃないですか?でも、『道』を観るたびに「損をした人のほうが幸せだ」って思わされるんですよ。
『道』って、誰かから奪ったり抜け駆けをしたりして「得したぜ」って思った人が不幸になる話で、なんか一生懸命に生きて損したかのように見える人のほうが、最後は幸せなんじゃないかって思わされちゃうんです。それが幸福論の象徴だなって。
僕は小説を3作書いて、一貫しているのは幸福論なんです。「人は何をもって幸せだと感じるか」ってことしか書いてなくて、それを「死」や「お金」や「恋愛」で描いているんです。その意味で『道』は最高の幸福論の話だなと思うんですよ。いきなり少女がカネで買われて、恋愛感情を持って、その後に捨てられて死ぬ。全部入っているんですよね。僕の3作が凝縮されている。
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ