更新日:2022年08月14日 11:41
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ISスパイの嫌疑を掛けられ拘束…常岡浩介が語る「僕が何度も捕まる理由」

 ところが、公安当局は反省するどころか、地下鉄サリン事件を例にテロ組織の脅威を訴え、予算の大幅増額に成功している。  常岡氏が声高に公安警察を批判するのは、取材活動を妨害するばかりか、彼の拘束にも加担していた疑いが濃厚だからという。’10年に、アフガニスタンの情報機関に拘束されたときのことだ。 「僕が拘束されているときに、パキスタンの日本大使館から『この誘拐事件は、常岡とハサン中田(考=同行のイスラム法学者)による狂言』との情報が外交公電まで使って、世界中の日本大使館に発信された。情報機関の役人に問い質すと、『我々のカウンターパートは日本大使館のインテリジェンス・オフィサー』と答えたのです。つまり、公安警察か公安調査庁から大使館に出向している人間ということ。翌’11年には地元紙が『常岡はアフガンに潜入し、タリバンと合流後にアメリカを攻撃する計画だった』と報じたのですが、これもネタ元の情報機関の役人に問い質すと、『それは、日本から受け取った情報だ』と言い切りました」  当時、常岡氏は外務省の対応に大きな不満を抱いていたが、その後、公安の暗躍が判明する。今回、感謝へと態度を一変させたのには、それなりの理由があったのだ。  また、外務省が11月17日には返却すると約束したパスポートも、12月7日には無事常岡氏の手元へ戻った。(常岡氏twitterより)

 返却されたとなれば、拘束される危険があっても、また海外の紛争地取材に旅立つのだろう。今さらだが、何度拘束されても生還しているのは驚くべきことだ。 「反政府勢力に捕まったことが一度もないのが大きい。毎回、捕まるのは政府側。例えば、アフガニスタンならタリバンに捕まるのは非常にまずいので、そうならないように事前に取材の仕込みをする。実際、現地に入ると、恐れていたタリバンには歓迎されて、歓迎されすぎたのか、政府側に拘束されましたが(苦笑)。グルジアでは当局が本気で僕を消そうとしていたように、政府側だから必ずしも安心というわけじゃないが、ISに捕まるのに比べれば、まだ対策の打ちようはありますからね」 【常岡浩介】 ’69年、長崎県生まれ。早大時代に中東を旅行、ジャーナリストを志す。長崎放送報道部記者を経て’98年フリーに。’00年イスラム教に改宗。近書に『イスラム国とは何か』(旬報社刊) ― 常岡浩介 僕が何度も捕まる理由 ―
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イスラム国とは何か

三度の潜入取材に成功、世界でただ一人のジャーナリストが語る衝撃の日本人人質事件の背景とは…“脅威”の実像に迫る!

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