アメリカじゅうのメディアが“ブーム”に大騒ぎ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第305回(1998年編)
いっぽう、『ニューズウィーク』誌や『スポーツイラストレーテッド』誌と比較すると娯楽性、ゴシップ色が高く、記事の内容そのものはやや信ぴょう性が低いとされる『ニューヨーク・ポスト』紙は、「どこも書かないからウチが書く」というスタンスでベンチュラと1980年代のWWEのステロイド疑惑、ビンスを被告とした1994年の“ザホリアン医師のステロイド裁判”についての記事を掲載した。この記事を書いたのは“ビンスの天敵”とも“プロレスの天敵”ともいわれるスポーツライターのフィル・マソニック氏だった。
『ロサンゼルス・タイムス』紙(11月16日付)は、“アルティメット・グラッジ・マッチ(究極の遺恨マッチ)”なるタイトルでWWE“ロウ・イズ・ウォー”とWCW“マンデー・ナイトロ”の視聴率競争を全6ページの特集記事として掲載。月曜夜9時オンエアの“ロウ”がプライムタイムでABC、CBS、NBCの3大ネットワークの番組よりも多くの“12歳から34歳の男性視聴者”を獲得しているというデータを紹介した。
同紙は“ロウ”のナッソー・コロシアム、“ナイトロ”のフェニックスの2大会を取材しているが、記事内の写真キャプションで人物名が特定されているのはビンス、ハルク・ホーガン、エリック・ビショフWCW副社長の3人だけで、ブレット・ハートやゴールドバーグの試合写真には「肉体をぶつけ合うレスラーたち」といったキャプションが載っているだけだった。
このあたりにも大メディアのプロレスに対する“プロダクト知識”の低さと一面的な報道姿勢が表れていた。
もっとも、メインストリームのメディアが“ブーム”として騒ぎはじめたころには、いちばんコアなオーディエンスの関心はすでにそのまた先の展開に移っていた。
『ニューズウィーク』誌はストーンコールドの商品価値を「理解に苦しむ」と評価したが、WWEのリングではそのストーンコールドの人気をしのぐ新しいスーパースター――ザ・ロック――が誕生しつつあった。
ビンス・オーナーは、1998年11月の時点で翌1999年3月の“レッスルマニア15”のメインイベントをストーンコールド対ロックの長編ドラマ第1章の“シーズン・フィナーレ”に設定していた。(つづく)
https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(1
2
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ