更新日:2022年08月23日 15:40
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芸能生活30周年を迎える酒井法子「客席からの『おかえり』という言葉が本当に嬉しかった」

のりピーと酒井法子。どちらも大事な存在

⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1299560 ――のりピーであることがつらい時期はありましたか? 酒井:10代の後半はありました。「ピーピー言ってる元気な子ね」と多くの方に覚えてもらえたにも関わらず、もともとは王道の聖子さんに憧れていたので「酒井法子」で覚えてほしかったなぁと。ショートカットでキャピキャピしている姿だけが私じゃないんだけどなぁ、もうちょっと大人っぽい曲が歌いたいなぁと、そう思っていた時期はありました。 ――ということは、22歳で『ひとつ屋根の下』というドラマに出演したことは、タイミングが良かった? 酒井:そうです。あれが私を救ってくれました。もうひとつ『星の金貨』と合わせて、その2本のドラマは神様の恵みでした。役柄が素晴らしかったのもあって、酒井法子として認識していただけて。ピーピー言ってるだけじゃなくて、やっと普通に話せるようになったというか。すごくうれしかったし、楽になりました。 ――その時期は“のりピー”成分はゼロになっていくんですか? それとものりピーが核に残っている上での“酒井法子”なのでしょうか? 酒井:そう言われると、人生のなかで「のりピー」が一番薄れた時期だったのかもしれません。10代の頃から台湾でコンサートをさせてもらっていたんですけど、ドラマ出演以降に香港や中国のさらに大きな会場で歌わせていただけて。なんでこんなに多くの人が応援してくれるんだろうと不思議でしたけど、嬉しくて。 ――では、現在ののりピーと酒井法子の関係性は? 酒井:今はいいバランスでミックスしていると思います。昨年のコンサートもそうですけど、ずっと応援してくれるファンがいてくださるって、こんなに幸せなことはないです。その方たちが、ずっと“のりピー”という存在を忘れないでいてくれたのが本当にありがたい。のりピー全盛期みたいな曲っていうんですかね。コンサートで『夢冒険』とか『男の子になりたい』とかを歌うと、やっぱり喜んでくださるんですよ。そんなのりピーを私も大好きだし、酒井法子のことも私ですから、どちらも大事にしていきたいと思っています。 ※このインタビューは3/7発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです 【酒井法子】 ’71年、福岡県生まれ。アイドルとしてデビューし、「いただきマンモス」「うれピー」など独特な「のりピー語」とともにブレイク。’90年代には女優・歌手として数々の出演作・楽曲がヒット。中国、香港、台湾などアジア諸国でも今なお高い人気を誇る。スマホ専用オフィシャルファンクラブサイト(月額540円。http://norikosakai.official-fan.com)では、最新のメディア出演情報のほか、近況報告ブログ、ライブチケット先行販売の情報がチェックできる 取材・文/唐澤和也 撮影/ 中山雅文 スタイリング/MINIKO SATO ヘアメイク/安達知江 衣装協力/ジャスミンピークス
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週刊SPA!3/14号(3/7発売)

表紙の人/ 高畑充希

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