マンカインドがヒューマンになった日――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第307回(1998年編)
この日、試合に出場予定のなかったロックは、コーポレートのメンバー全員をセコンドにつけ、Tシャツとジャージーといういでたちでリングに上がってきた。マンカインドのセコンドにはDX軍団がついた。
試合は、マンカインドの“拷問コミック技”ソッコー(マンダンブル・クロー)でロックが半失神状態となり、マンカインドがそのままフォールの体勢に入ったところでシャムロックが乱入してマンカインドを背後からのイス攻撃でKO。
TVマッチでの王座移動シーンをドラマチックに“演出”してみせたのは、やっぱりいちばんいいところで登場してくる“ストーンコールド”スティーブ・オースチンだった。
おなじみのテーマ曲とともに入場ランプに現れたストーンコールドは、絶妙のタイミングでリング内にすべり込み、大の字にノビたロックの上にこれまたグロッギー状態のマンカインドの体を覆いかぶせ、さっさと退場。マンカインドにフォール勝ちをプレゼントした。
フォーリーはピッツバーグのレスリング・スクールで元レスラーのドミニク・デヌーチのコーチを受け、1985年にカクタス・ジャックのリングネームで東海岸のインディー・シーンでデビュー。無名時代のトレードマークはクレージー・バンプと呼ばれる危険な受け身で、リング上でも場外でもコンクートのフロアでも自殺的バンプをとりつづけた。
1989年にWCWと契約したが、WCWフロント(と一部の選手たち)はフォーリーの前衛的プロレスを理解しようとせず、フォーリーもまたWCWの企業的な体質を憎んだ。
“類は友を呼ぶ”ということだったのかもしれない。フォーリーはアメリカと日本のインディー団体、ECWとIWAジャパンでほとんど同時にデスマッチの“カルト教祖”となり、ECWでの実績と名声はフォーリー自身が少年時代からあこがれていたWWEの扉をこじ開けた。
フォーリーはWWEにハードコア・スタイルを持ち込み、リング上のキャラクターもマンカインド―ドゥード・ラブ―カクタス・ジャックと進化をつづけ、その禁断のバンプがWWEのカラーを変えた。フォーリーとロックの闘いはまだそのプロローグを迎えたばかりだった――。 (つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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