マンカインドがヒューマンになった日――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第307回(1998年編)
ミック・フォーリーはどちらかといえば遅咲きのスーパースターだった。“怪奇派”マンカインドことフォーリーがロックを下しWWE世界ヘビー級王座を獲得したのは1998年12月29日(マサチューセッツ州ウースター)。WWEとの専属契約(1996年3月)から2年9カ月、キャリア14年めにしてメジャーリーグの頂点にたどり着いた。
12.28“ロウ・イズ・ウォー”(ニューヨーク州オーバニー=生中継)、12.29“ロウ”(マサチューセッツ州ウースター=1999年1月4日オンエア分の録画撮り)と同日収録の“サンデーナイト・ヒート”(1999年1月10日オンエア分)は、2日間のTVテーピングがそれだけで“ひとつの物語”になっていた。
ドラマの基本モードは、ディジェネレーションX(DX)と“悪の首脳部”コーポレートの全面対決路線。DX軍団のメンバーはトリプルH、Xパック(ショーン・ウォルトマン)、“ロードドッグ”ジェシー・ジェームス、“バッドアス”ビリー・ガン、そして“女性ボディーガード”チャイナの5人。
DX軍団のオリジナル・メンバーでトリプルHの親ショーン・マイケルズは、腰の故障(椎間板ヘルニアの手術―リハビリ)で長期欠場中だったため、このときはWWEコミッショナーという中立なポジションを演じていた。
コーポレートのおもなメンバーは大ボスのビンス・マクマホンと長男シェーン・マクマホンのWWEオーナー親子、WWE世界ヘビー級王者ザ・ロック、インターコンチネンタル王者ケン・シャムロック、WWE世界タッグ王者ビッグ・ボスマン(パートナーはシャムロック)。この時点では主要タイトルはすべて“悪の首脳部”が握っていた。
“無派閥”のマンカインドはこれまでことあるごとにマクマホン親子に裏切られてきたため、心情的にはDX寄りにということになっていた。
12.29“ロウ”でマンカインドはビンスの“ダメ息子”シェーンを人質に取り、コーポレートに対してロックとのタイトルマッチを要求。ビンスがこれをしぶしぶ承諾し、番組後半でロック対マンカインドのWWE世界戦がラインナップされた。
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