更新日:2022年08月25日 09:10
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コギャル、アムラー…ギャルブームの裏側を元eggカメラマンが独白「当時はハニートラップも多かった」【電マライター・村橋ゴローの東京ぶらりんこ旅 第8回】

――そこまでくると、鈴木さんはもういちカメラマンの枠を飛び出してたんじゃないですか? クンニ:うーん、どうだろう。とあるギャルブランドのプロデューサー的なことはやってたけどね。基本はカメラマンとしての広告仕事だけど、ギャラは1カット10万円とかべらぼうに高くして。その代わり、モデルは誰を使えば売れるかとかその辺のプロデュース代も込みでね。でもそのおかげで売り上げが10倍になったブランドもあったんだよ。 ――でもそれってウザがられませんでした? だってやってることは、もうカメラマンの枠を大きく逸脱してるわけだし。 クンニ:ウザがられて排除されたこともあったけど、俺を外したことによってそこはコケたから、「ざまあみろ」だよ(笑)。 ――いま、悪い笑い方しましたね(笑)。でも、そんな我が世の春も終わりがくるわけじゃないですか。ギャルブームもいつかは終わるわけで、その陰りみたいなものは感じてました? クンニ:世の中で、いわゆる“ギャル像”ができてしまって、それに制作サイドやアパレルメーカーが踊らされ過ぎたんだよ。でもそれはあくまでイメージであって、実際に渋谷にいる女の子たちとは違う。そのズレがどんどん大きくなってしまったんだと思う。何度か雑誌の軌道修正はしたんだけど、ダメだった。 ――eggがなくなって、やはり収入は下がりました? クンニ:下がった。でも「ギャルブームが終わったから」というより、あの時期から雑誌業界全体が死んでいったじゃん。だって撮ってるページ数や仕事量は変わってないわけで、要は単価が下がったから収入が減ったわけで。
213号

最終号の表紙。ひと言で“ギャル”といっても様々なスタイルが見受けられる。『egg』213号・2014年(株式会社 大洋図書/egg編集部)

――雑誌業界が元気だったとき、そのなかでもeggで頂点を見たわけですから、そこからの落差も大きかったと。いま考えると、eggって何だったと思います? クンニ:それまでのファッション誌の主役はモデルだった。でもそこを若者をフィーチャーすることによって、一般のコが主役になれた雑誌だったと思うね。 ――そんなギャルブーム全盛時を知る鈴木さんから見て、いまのストリートはどのように映りますか? 渋谷クンニ:いま、街にいる女の子は、本当にダサくなった。渋谷だろうが新宿だろうが、全部ダサイ。結局は、そのバイブルとなる雑誌がないから! 自分の感覚だけで買うと、冒険しなくなる。結果、面白くないよね。 ――その原因は? クンニ:SNSだよ! あれはクソ! だってさ、「SNSが大ブーム」とかいったって、SNSがファッション界で何のブームを作ったのよ! 作ってないじゃん! 記事だって、1日経ったら流れていっちゃうじゃん! ――ん? 鈴木さんのなかでは、ネットニュースもSNS? クンニ:そうだよ! ――SNSにえらい怒ってますが、鈴木さんもフェイスブックやってません? クンニ:いや……俺のは発信とかじゃなくて、た、単なる記録だから! ――そうなんですか? これ、鈴木さんのある日のフェイスブックです。『オイラの愛用の時計“フランク三浦”笑 フェラーリと一緒に写真を撮ると、フランクミューラーに見える!』……しょーもなっ(笑)。 クンニ:プシュウウウウウウウッッ! 【村橋ゴロー】 1972年生まれ。ほとんどの家事とまあまあの育児をこなす、ライター・コラムニスト。千原ジュニアや田村淳など芸人連載の構成を多数手掛ける。その一方、ママ向けサイトit mamaでは、「どの口が言ってるんだ」という感じだが、妊活や育児についてのコラムを執筆中。また、『ゴー! ゴー!! バカ画像MAX』シリーズ(KKベストセラーズ刊)は累計190万部を突破。近著に『俺たち妊活部「パパになりたい!」男たち101人の本音』(主婦の友社刊)がある。Twitterは、 @muragoro <取材・文/村橋ゴロー>
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