「eggポーズは俺が考えた」元ギャル雑誌カメラマンが振り返る渋谷系カルチャー誕生秘話【電マライター・村橋ゴローの東京ぶらりんこ旅 第7回】
最近、電マ(電動ママチャリ)で街をぶらりんこしていて思うのですが、すっかりギャルを見かけなくなったなと。金パにガン黒、ひと昔前に街を、いや日本を占拠していた、あのギャルたちはどこに行ってしまったのだろうか?
唐突だが、皆様はクンニ鈴木という男を御存知だろうか? おおよそまともな大人が名乗るとは思えない名を名乗るこの男こそ、ギャル文化を支えた雑誌『egg』(大洋図書)のメインカメラマンにして、ギャル文化のすべてを知る男。そのブーム絶頂期には「egg最強!」が口ぐせだったこの男に聞けば、ギャルを“再発見”できるに違いない!
そして実はわたくし村橋ゴローはクンニ鈴木とは、25年来の旧知の仲。なのでさっそく電話することに。「おう、リョータ? お前のこと取材したいんだけど?」。ちなみにクンニ鈴木の本名は、鈴木竜太。リュータと書いて、リョータと読む。めんどくせえ。また、「クンニ鈴木とは、何て下品な名前なんだ」とディスっておきながら、自らを電マライターと呼ぶことに問題はないのか? という案件については、また後日にしよう。それではクンニ鈴木が事務所を構える恵比寿まで、ぶらりんこ!
――まず、鈴木さんが『egg』にかかわるきっかけは?
クンニ鈴木(以下、クンニ):当時セックスマニュアル全盛だった『ホットドッグ・プレス』、ギャル誌の『S.O.S』、そしてできたばかりの『egg』の撮影をまとめて引き受けてて。それで1日路上キャッチで撮影して、そこから各誌に合うテイストの女のコを振り分ける、みたいな仕事から始まったのかな、eggは。
――今じゃ考えられないですけど、当時は路上キャッチやってましたね。週末の渋谷なんか、かわいい女のコだと各誌取り合いになるという。
クンニ:複数の雑誌のキャッチ撮影を同時にやってたから、女の子に雑誌名をいちいち言ってなかったもん。「『○○』に載るよ」とか。eggはできたばっかで雑誌のテイストがよくわからなかったから、他誌から漏れた女の子をまわしてたもんな。
――ハズレをeggにまわしてたと。
クンニ:そもそも、最初は男性誌だったしね。当時はまだ読モやギャルといった概念もないし。よく男子校とかで雑誌広げて「どのコがかわいい? いっせーの」で指さすやつあるじゃん? そういうノリのファッションスナップとして撮ってた。
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1308107
――そういった聡明期があって、いつからギャル誌に移行したんですか?
クンニ:編集部は男性誌として作っていたんだけど、読者アンケートを見たら送り主は女の子ばっかりだったの。それで編集サイドが「これって男性誌じゃなくて、女性誌なんじゃね」ってなって、7~8号目ぐらいから“女子高生”を全面的に打ち出したら、伸びてきた。
――編集の意図とは異なり、女の子たちはファッションのお手本として見ていたと。そして女性誌として再スタートを切ると、あれよあれよという間にeggがブーム化するわけですが、その実感を感じたエピソードなどは?
クンニ:何をやってもウケたよね。数字もってる雑誌が何かをやれば、ブームが作れた。そんな時代。でも自分たちが何か新しいことをやったというより、単純に街を見ていて、そこで起こってる流行を誌面に出しただけなんだよ。テレビって、その辺遅いじゃない? 大体、ブームに気づくのが半年遅いんだよ。でも自分たちは毎日渋谷に出て、若いコたちと会話してきた。だから、いま何が起こっているかがリアルでわかったの。
――具体的にいうと?
クンニ:例えば街で100人撮ったとしたら、先月までゼロだったガングロのコがひとり出てきた。それでその翌月には、ガングロのコが5人に増えた。「これはブームが生まれるな」って感じた瞬間だったね。
――なるほど。
クンニ:ゼロが5になり、ブームが生まれる。それを後押しするのが俺の仕事。
――かっちょいい~~!
クンニ:ムヒョヒョヒョヒョ!(笑)
――最盛期で、部数はどれくらいだったのですか?
クンニ:45万部!
――おお~! その45万部を誇ったモンスターマガジンのほとんどを撮影なさってたと。
クンニ:そうっすね。表紙にはじまり巻頭ページ、そして主要企画、もうほとんどやってましたね。
電マライター・村橋ゴローの東京ぶらりんこ旅 【第7回】「元ギャル雑誌カメラマンが振り返る渋谷系カルチャー誕生秘話」
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