ゴーディは「帰りたかねぇ」といってガッハッハと笑った――フミ斎藤のプロレス読本#051【全日本ガイジン編エピソード19ゴーディ外伝】
ゴーディは、20代から30代前半までをオールジャパン・プロレスリング(全日本プロレス)のリングで過ごした。あのころは、アメリカとジャッパーンを1年じゅう行ったり来たりしていた。
身のまわりのシチュエーションが変わっても、やっぱり六本木に来ないわけにはいかない。
“ハードロック・カフェ”でハンバーガーを食べていたらFMWのスーパー・レザーにばったり会ったし、ちょっと一杯だけやろうと思って“デジャヴ”へ行ってみたら、全日本女子プロレスのレジー・ベネットがいた。みんな、気合の入ったトーキョー・ガイジンである。
ゴーディは、なんとなくジャッパーンに帰ってきたのだった。意識不明の重体になって緊急入院したり、リングから離れていた時期もあったけれど、なんとかまたレスリングができる体にはなった。アメリカではあまり試合をやっていないし、家でおとなしくしているのも悪くはない。
サディーデイジィーではプロレスラーとしてよりも子どもたちの父親としての役割りのほうがはるかに大きくなった。でも、やっぱりたまには飛行機に揺られてどこかへ行ってみたくなる。
ジャッパーンには30団体以上のレスリング・オフィスがある。IWAジャパンのアキオ・サトー(佐藤昭雄)はオールジャパン時代からの付き合いだ。
ビッグ・ジャパン(大日本プロレス)、ニュー・トーキョー・プロレスリング(新東京プロレス)、サムライ(冴夢来プロジェクト)は知らなくても、ケンドー・ナガサキや石川孝志や剛竜馬のことはよく知っている。
ゴーディーは、アビー(アブドーラ・ザ・ブッチャー)がオールジャパンからイシカワのグループにジャンプ=移籍したという情報を小耳にはさんでいた。
このまましばらくトーキョーにいるのもいいかもしれない。どこのオフィスとどこのオフィスが協力関係にあって、だれとだれが仲が悪いかなんてひとつひとつはおぼえきれないけれど、そんなにたくさんリングがあるんだったら、どこでプロレスをやったっていい。
知らないボーイズといっしょに、知らない土地の安ホテルに泊まらされたって、文句なんかいわない。
トーキョーはネオンとタクシーと左側通行の街。道ばたで手をあげれば、すぐにタクシーが停まってくれる。六本木の夜は、テネシーの夜よりも長い。
「まだ帰りたくねえなぁ I don’t wanna go back」
ゴーディはまたトーキョー・ガイジンになろうとしていた。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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