36歳で“レジェンド”ゴーディの自由な魂 Free Spirit ――フミ斎藤のプロレス読本#052【全日本gaijin編エピソード20ゴーディ外伝】
ケーブルTVがアメリカじゅうの一般家庭に普及しはじめたころ、ジョージア州アトランタのローカル番組“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”はスーパーステーションTBSの電波に乗って、まるで羽が生えたようにありとあらゆる土地へ飛んでいった。
毎週土曜の朝と夕方にオンエアされていた“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”の主人公はだれがなんといおうとフリーバーズ。生まれはバッドストリートUSA。スキナードだ。サザン・ロックだ。大好きな酒はジャックダニエルで――。このあたりのロックンロール・テール(ロック物語)を考案したのはもちろんヘイズだ。
3人組になったフリーバーズはルイジアナ、アラバマ、アトランタを渡り歩いたあと、テキサス州ダラスに流れついた。
ダラスWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング)では、フリーバーズ対ケビン&デビッド&ケリー&マイクの“鉄の爪”エリック4兄弟の因縁ドラマが毎週金曜夜のダラス・スポータトリアム定期戦を18カ月間連続でソールドアウトにした。
フリーバーズは1984年、WWEと契約を交わして“1984体制”の主力メンバーに加わったが、ゴーディ&ヘイズ&ロバーツの3人組が全米ツアーに同行したのはわずか6週間で、WWEの“管理プロレス”にどうしてもなじめなかったゴーディは、ある日、ひとりでテネシーに帰ってしまった。これがフリーバーズの事実上の解散だった。
ポール・Eは、ゴーディを“伝説のアーティスト”としてECファッキンWのドレッシングルームに迎え入れた。アルバムはあんまり作らなくなったけれど、音楽をやめてしまったわけではなくて、いまでも気が向けばライブをやってくれる伝説のロック・アーティスト。そういうニュアンスなのだろう。
伝説にはちゃんとつづきがある。ジャパンで10年間、メインイベンターをつとめたあと、体調を崩して休業。しばらくだれとも連絡をとらなかったら、廃人になったとか、記憶喪失になったとか、いろいろなウワサが流れた。でも、そういう雑音はテネシーの山奥までは届かない。
元気になったゴーディは、自由に飛びまわることの喜びを思い出した。やっぱり、背中に羽が生えている。ファビュラス・フリーバーズのテリー・ゴーディは、みんなの記憶のなか――映りの悪いケーブルTVの画面のなか――のビッグ・ファッキン・スーパースター。
でも、そこにいる本物のゴーディは、気どらず、飾らず、子どものように目を丸くして、みんなとおしゃべりをして、こっちを向いてガッハッハと笑っている。
名曲“フリーバード”の歌詞のいちばん最初のフレーズは「もしも、あした、ぼくがここからいなくなっても、キミはぼくのことをおぼえていてくれるかい If I leave here tomorrow,Would you still remember me?」である。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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