36歳で“レジェンド”ゴーディの自由な魂 Free Spirit ――フミ斎藤のプロレス読本#052【全日本gaijin編エピソード20ゴーディ外伝】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
「それじゃあ、家からは出らんねえや」
テリー・ゴーディは、ファイトマネーの安い試合はいつもこういって断る。家にいておとなしくしているか。それともツアーに出るか。ふたつにひとつしかない。
ゴーディの家は人里離れた山のなかにある。ゆるやかな丘のふもとから“ゴーディズ”の郵便ポストまでは4WDのトラックで約15分。それから外灯のついていない山道をさらにくねくねと登っていくと、天井の高い、濃い茶色のバンガロー・ハウスがみえてくる。
テネシー州サディーデイジィーという地名は、ゴーディ家と何百人からの遠い隣人たちのためにある。すぐおとなりに住んでいる甥nephewのリチャード・スリンガーは、いまはプロレスを休業して保護観察官の仕事をしている。もちろん、親せきは毎日のようにおたがいの家を行ったり来たりしている。
ゴーディが家から出るのは、どこかで試合があるときだけだ。飛行機に乗るには、まず自動車で山を降りてチャタヌガへ向かわなければならない。スポーツバッグを肩から下げて空港のチェッキングカウンターまで来ると、もう背中のあたりがむずむずしてくる。
これから空を飛んで、知らないところへ行ける。知らない場所に着いたら、そこには知っている人たちがたくさんいる。サディーデイジィーとくらべるとフィラデルフィアは都会だ。
ECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)のドレッシングルームは、いつも部屋いっぱいのリスペクト=敬意でゴーディを迎えてくれる。それはテリー“ベーム・ベーム”ゴーディTerry“Bam Bam”Gordyが伝説の人だからである。
そのへんに荷物を置いて着替えをはじめると、会ったことがあるようなないような、見おぼえがあるようなないような、なかなかファーストネームを思い出せないような若いボーイズがミネラルウォーターのボトルを持ってきてくれたり、噛みタバコをすすめてくれたりする。
ゴーディをECWに誘ったのは、もちろんポール・ヘイメン――この時点ではポール・E・デンジャラスリーという悪党マネジャー時代のキャラクター・ネームを併用していたが、だいたいのボーイズはポール・Eと呼んでいた――だった。
ポール・Eにとって、ゴーディはあくまでも偉大なるタッグチーム“ファビュラス・フリーバーズ”のゴーディなのだ。
フリーバーズは、レナード・スキナードの名曲“フリーバードFree Bird”に乗ってリングにやって来る3人組。
チームリーダーでおしゃべりがうまいのがブロンドのロングヘアのマイケル・ヘイズで、大きくて強くて動きがよくていつもゲームメーカーとして試合を組み立てるのがカーリーヘアのゴーディ。ちょっとだけ年上のバディ・ロバーツは悪知恵をたくらむ役だった。
ゴーディは年齢をごまかして14歳でプロレスラーになった。あの“鉄人”ルー・テーズからほんのちょっとだけレスリングを教わったことがあったが、ほとんどトレーニングらしいトレーニングを受けず、テネシーとジョージアの州境のジョージア州ロスビルというスモールタウンのTVスタジオで、ほとんどぶっつけ本番でリングに上がった。
ゴーディとヘイズが出逢ったとき、ゴーディは15歳でヘイズは17歳。意気投合したふたりは旅のパートナーになり、それから1年後、1977年にタッグチームを結成した。ファビュラス・フリーバーズというチーム名を思いついたのはヘイズだった。
ルイジアナ―オクラホマ―アーカンソー―ミシシッピのミッドサウス地区をツアーしていたときに、プロモーターのビル・ワットがふたりの“ベビーシッター”としてベテランのロバーツをフリーバーズの3人めのメンバーに加えた。
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