プロレスはハードロック――フミ斎藤のプロレス読本#068【バンバン・ビガロ編エピソード3】
ビガロは4年ぶりにWWE、というよりもアメリカのリングに戻った。当面は“見た目”どおりヒールでやっていくことになった。TVマッチでもハウスショーでもビッグ・ボスマンやジ・アースクェイクやティト・サンタナにしっかりフォール勝ちしているから、番付はかなり上のほうだ。
マディソン・スクウェア・ガーデン定期戦では、いきなりブレット・ハートのWWE世界ヘビー級王座に挑戦した。ついこのあいだまで新日本プロレスにいたかと思ったら、もうニューヨークのひのき舞台のリングに立っている。
才能のあるプロレスラーは、自分で自分のポジションをこしらえていく。ビガロにとって理想のレスラー像とは、少年ファンたちが学校の休み時間なんかに目を輝かせながら“このあいだの試合”について語り合えるようなヒーロー的な存在である。
そして、そういうヒーローは、少年ファンがおとなになってビールを飲むような年齢になっても「オレたちがガキのころ、すげえレスラーがいたんだぜ」となにげない会話にポンと出てきたりする。いいものはみんなの記憶に残る。
ある試合のなかのあるワンシーンとか、少年ファンが心のなかにずっと持ちつづけるあるイメージとか、形としては残らないけれどプロレスファンの意識にずっとインプットされるサムシング。プロレスラーのほんとうの価値とはなにかそういうものではないか、とビガロは考える。
大都会でも田舎でもないイーストコーストの港町で育ったビガロは、みずからの経験としてポップカルチャーが子どもたちの成長と人格形成に与える影響、インパクトの大きさを知っている。
ビガロにとって、プロレスはポップカルチャー。ポップカルチャーとはアートであり、スポーツであり、スーパーヒーローの物語であり、もちろん、ハードロックである。
ビガロはいまでもティーンエイジのころに親しんだ1970年代後半から1980年代前半のハードロックしか聴かない。たくさんの時間を共有したもの、自分を育ててくれたものには特別な想いがある。プロレスもきっとそういうものにちがいないのだ。(つづく)
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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